(追記) アマリアの別荘 パスカル・キニャール (著), 高橋啓 (翻訳)2017年09月23日

先日、ここに取り上げた小説、「アマリアの別荘」について、もう一度。

「アマリアの別荘」の舞台となった地中海の島イスキア ischia。グーグルで調べると、美しい写真が沢山出てくる。海岸の崖の途中にある青い屋根の別荘とは、このあたりかなと思いを馳せる。

本文中の別荘からの風景の記述

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 岩陰にあるその別荘からは、海を一望することができた。
 山の斜面に柵状に張り出した土地からの視界は無限に広がっていた。
 前景、左はカプリ、ソレントの岬。そして、見渡すかぎり海。見はじめると、身動きできなくなるのだった。それは風景ではなく、何者かだった。男ではなく、むろん神でもなく、だが、確かな存在。
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パートナーの浮気を知って、それまでの生活の場であったパリの家を捨て、職場を捨て旅に出た主人公アンが、新しい自分の居場所として見つけたのが、アマリアの別荘。ここで、アンと同性愛関係になった女友達、男友達の娘の女の子との女3人の幸福な時間を見つける。それもつかの間、また、すべてを失うできことが起こる。母親を失い、友達を失い、再会した父親を失い、幼なじみを失い、アンの旅は、ロサンジェルス、ミラノ、シドニーと続く。数少ないファンからは熱烈に愛される音楽を作曲しながら。

小説のタイトル、アマリアの別荘で女友達と3人で過ごした時間が、アンの人生の幸福のクライマックスだったのだろう。おそらく、誰の人生でも、そういうクライマックスがあるのだが、それを実現しているときにはそれと気づかずにいるのだろう。確実なことは、クライマックスは必ず終わるということだ。

C’est la vie.

アマリアの別荘 パスカル・キニャール (著), 高橋啓 (翻訳)2017年08月15日

☆☆☆☆☆

久しぶりに、自分の好みのど真ん中を貫いてくれる、心底面白いと思える小説に出会った。読みだしたら止まらないけど、読み終えるのがもったいないという感じ。何が面白いか、説明するのは難しい。

作品は、交響曲のようは4部構成で、各部で舞台となる場所や、文章のスタイルが変わる。主人公の女性アンは現代音楽の作曲家。どんな曲を作曲するのかというと、古典音楽を聴いて、そのエッセンスを抽出して作曲するという風変わりな仕事をしている。作曲家としての仕事の描写は、音楽をよく知っている人しか書けないなと思わせるものがあった。調べてみると、キニャール氏の著書には、「音楽への憎しみ」、「音楽のレッスン」など、音楽をテーマにした作品が結構ある。

さて、この小説の内容であるが、アンはある日長年連れ添ってきたパートナー(結婚はしていない)の浮気を発見。そこからの彼女の心の動きの描写が上手いし、とても大胆でカッコいい復讐の行動は、ワクワクさせてくれる。あちこちで意外な展開をみせるプロットの面白さ、個性的で魅力に溢れる登場人物、に加え、小説のスパイスとして欠かせない幻想性も適度に加えられている。

ここまで書いてみて、我ながら魅力の伝わらない感想文だと思う。でも、こんな小説があれば、生きているのも悪くないと思うことができる小説である。

ジーヴズの事件簿―才智縦横の巻 P.G. ウッドハウス2017年07月31日

☆☆☆☆★

20世紀初頭の英国の作家P.G. Wodehouse の短編小説ジーヴズシリーズの名作選。ロンドンを舞台に、天然ボケの不労所得階級の青年バーティの身の回りに持ち上がる様々な問題を、彼の執事ジーヴズが見事に解決していくユーモア小説。ジーヴズがバーティに仕えているようで、実は、意のままに操っているのが面白い。気楽に楽しめる短編で、何十冊もある宝の山の入り口を見つけたという感じ。

何でも知っているジーヴズはイギリスはもとより全世界で人気のキャラクターで、今でも人気があるようだ。

ask.com という今はマイナーな検索サイトがあるが、以前は、Ask Jeeves という名前の英国の会社だったらしい。買収されて名前が変わった。

ところで、イギリスの執事というと、カズオ・イシグロの「日の名残り」の主人公スティーブンスが真っ先に頭に浮かぶ。こちらは、滅私奉公を続けてきたスティーブンスが、休暇をもらい旅行をしながら人生を振り返る物語。

同じ執事というものの、ジーブズ君とはずいぶん違う。調べてみると、スティーブンスはbutler であり、雇用者の家に仕える。いわば、貴族の館のマネジャーである。一方、ジーブズ君は、雇用者個人に仕える valet 従僕である。やはり、butler のほうが格が上なのだろう、パーティはジーブズを「必要とあればとても有能な執事になれる」と評しているようだ。

浅学な私は、いままでジーブズもウッドハウスも知らなかったのだが、読んで見ようと思ったきっかけは、チェリストのイッサーリス氏がツイッターで、時々、PG Wodehouse の小説からの引用を投稿するのを読んで、興味をもったことである。彼の引用は、どこが引用するほど面白いのか、今一つわからなくて、それが却って興味を引いた。日本人が面白いと思う感覚を外国人に伝えるのが難しいのと同じことなのだろう。

イッサーリス氏のツイッターでは、例えば、こんな引用がされていた。()内は拙訳。

'I spent the afternoon musing on Life. If you come to think of it, what a queer thing Life is! So unlike anything else, don't you know.'
PGW
(午後を人生について思いを巡らして過ごした。考えてみると、人生ってなんて変なものなんだろう! 他の何とも似ていない。そう思わない?)

“She uttered a sound rather like an elephant taking its foot out of a mud hole in a Burmese teak forest.”
― P.G. Wodehouse
(彼女は、像がビルマのチークの森の泥の穴から足を引き抜いた時のような音を発した。)

He looked like something stuffed by a taxidermist who had learned his job from a correspondence course & had only got as far as lesson 3
PGW
(彼は、通信教育で第3教程まで剥製作りを習った剥製師が詰め物をした剥製のようにみえた。)

“It was one of those still evenings you get in the summer, when you can hear a snail clear its throat a mile away.”
― P.G. Wodehouse
(それは、カタツムリが一マイル先で咳ばらいするのが聞こえるほど静かな、あの夏の夜の一晩であった。)

「美しい星」 三島由紀夫 著2017年06月03日



先日読んだ、「小説家の休暇」以来、三島の作品を続けて読んでいる。「美しい星」は、UFOが登場するSF風作品。こんなにバラエティ豊かな作家だとは、今まで全く知らなかった。

物語は、埼玉の片田舎に暮らす平凡な家族、大杉家が、UFOとの遭遇体験を介して自分達は他の惑星から来た宇宙人であるとの意識に目覚め、家長、重一郎を中心に、地球の平和のために行動を起こすという、こう書いてしまうとあまりに奇想天外な展開で始まる。 大杉重一郎は、原水爆による人類絶滅の危機を回避しようと、各地で講演を開催し、UFOの会の会報を配布する。そのころ、、同じようにUFOとの遭遇体験を通して、別の惑星から来たと自覚する3人の男がいた。彼らは、人類の欺瞞性を論じ、その絶滅は不可避であると主張している。

物語の見せ場は、重一郎とこの3人組が、顔を合わせ、議論を戦わせる場面である。人類は救うべきだ、人類は滅ぼすべきだ、という立場の違う論客が、人類の愚かさ、浅はかさを述べ、それを認めた上でも否定できない、人類の美点を論じる。迫力から論争が繰り広げられる。

重一郎は、人類が滅んだら、その美点を纏めて以下のような墓碑銘を書きたいと述べる:

『 地球なる一惑星に住める
   人間なる一種族ここに眠る。
  彼らは嘘をつきっぱなしについた。
  彼らは吉凶につけて花を飾った。
  彼らはよく小鳥を飼った。
  彼らは約束の時間にしばしば遅れた。
  そして彼らはよく笑った。
  ねがわくばとこしなえなる眠りの安らかならんことを  』

これを、わかりやすく翻訳すると以下のようになるという。

『(略)
  彼らはなかなか芸術家であった。
  彼らは喜悦と悲嘆に同じ象徴を用いた。
  彼らは他の自由を剥奪して、それによって辛うじて自分の自由を相対的に確認した。
  彼らは時間を征服しえず、その代わりにせめて時間に不忠実であろうと試みた。
  そして時には、彼らは虚無をしばらく自分の息で吹き飛ばす術を知っていた。
(略)』

この物語の上手さは、重一郎や男性3人組に、人類の存続、滅亡という大命題を論じさせながら、一方で、家族や友人との関係に深く喜怒哀楽を支配される小市民としての有様を具に描くことで人間の本質を考えさせるように仕組まれていることであろう。

全くの偶然なのだが、この本を買ったら、帯にこの5月に映画公開とある。観にいってみよう。

「音楽」 三島由紀夫著2017年05月19日

三島由紀夫は、自分は音楽がわからないと宣言している。その三島が、タイトルに「音楽」と付けた小説。いったい音楽がどのように関係しているのだろう。

性的なトラウマが原因で不感症とヒステリー症になっている主人公の女性。その治療にあたる精神分析医が、事件の謎を解く推理小説の探偵のように描かれる。主人公の女性、セックスで感じたときは音楽が聞こえてくるという。タイトルに音楽と付けられた理由は、それだけ。さすがに、音楽はわからないと宣言する三島らしく、安直な「音楽」の使い方である。

病気の背後にある兄妹の隠された関わりが徐々に解き明かされていく小説のプロットは、精神分析についてよく勉強しているようで、大きな破綻はなく、まあそれなりに読むことはできる。とはいえ、取り立てて面白い物語でもなく、三島の著作としては駄作なのだろうと思う。

三島由紀夫は、本当に音楽とは縁がなかったのだなと、この小説を読んで実感。文学や美学にあれだけ造詣が深いのに、音楽がわからない。この違いはどこにあるのだろうか。

「蜜蜂と遠雷」 恩田陸 (著)2017年02月05日



☆☆☆

直木賞受賞作ということで、話題になっていたので、読んでみた。ピアノコンクールを舞台に、天才少年、少女が活躍する音楽小説ということで、評判や紹介記事から期待した内容通り、という読後感である。コンビニのスイーツのように、最大公約数に受ける内容を厳選した、毒にも薬にもならないが、楽しく読める娯楽小説である。

努力しなくても、お金を使わなくても、音楽がわかったような、楽しめたような、そんな幻想を抱かせてくれる本だと思う。コミックでは、「のだめカンタービレ」、「ピアノの森」、「4月は君の嘘」、などが同じジャンルにあるが、コミックのほうが、まだ、展開の意外性や冗談性に意義がある。

この本は、クラシック音楽を目指す若者に纏わる、あらゆるステレオタイプを集めて、てんこ盛りにした感じで、嘘っぽさが目立つ。演奏の描写毎に出てくる聴衆の反応、「熱狂的な拍手が沸き起こった」、「嵐のような拍手が湧き起こった」、「万雷の拍手が彼を包む」、が何十回と繰り返される。なんか、映画やドラマのコンサート風景で、観客役のエキストラが総立ちで拍手しているような白々しさを感じてしまう。

そんな意地悪な読み方をしているが、面白く無いわけではない。ただし、登場人物を介して語られる作者の音楽解説の比重が大きく、かなり鬱陶しい。そこに興味を持てる人は別だが、そうでなければ、「読んでいない本について堂々と語る方法」(ピエール・バイヤール)の恰好の題材になれる本だと思う。

ある島の可能性 ミシェル・ウエルベック (著), 中村佳子 (翻訳)2017年01月30日



☆☆☆☆★

懲りずに、ウエルベックに戻ってきた。 「地図と領土」 「プラットフォーム」に次いで三冊目。「永遠の命」という、古典的テーマに斬新な切り口で挑んだ大作。また、打ちのめされる。

鬼才ウエルベックの面目躍如、奇想天外な構成で物語が展開する。前半は、永遠に再生され続ける命を手にしたネオヒューマンである24世代目と25世代目のダニエルが、数千年の未来から振り返る初代(人間)ダニエルの物語。成功したコメディアンであったダニエルは、老いとともに愛を失い絶望に苦しむ。その苦悩の日々に、ダニエルが巻き込まれる新興宗教の誕生物語。

ダニエルを通して描かれる人間は、死の影に怯えない若者だけが束の間の喜びを享受できる。「人間は死のない世界以外では、愛を実現することはできないんだ」というテーゼに基づき、不死を実現する新興宗教が生れる。やがて科学の進歩が宗教に追いつき、ダニエルのDNAからネオヒューマンが再生され、ダニエルの記憶が伝達される。ネオヒューマンの世界では、『個人の自発的な行動が、意思や、執着、欲望の母胎である』として、すべての行動はマニュアル化されている。そこには、目的もなく、穏やかな生活が続き、やがて世代を交代し再生される。

そして物語の最終章、永遠に続く平安の世界を飛び出し、未知の世界へと冒険に出る25代目のダニエル、その行くてに待ち受けるものは。。。

『それは時間の真ん中に存在する

それはある島の可能性。』


老いとともにすべての人は不幸になる、というダニエルの人生観。そんなことは無い、と自信を持って言えない自分に気が付く。しかし、永遠の命を手にしたネオヒューマンの人生も、素晴らしいものではなかった。本書の初めに言う、『この本は<未来人>に情報を提供するために書かれている。人間にはこんなものがつくれたのかと、彼らは言うだろう。無でもないが、完全でもない。つまりこれは中間的な産物だ』と。未来人とはどんな存在なのだろうか。本書は言う、『「精神」の誕生に立ち会うのは、未来人をおいてほかにない。しかしながら未来人は、我々の解釈する意味からすれば、人間ではない。僕の言葉を畏れたまえ』

ねむり姫―澁澤龍彦コレクション 澁澤 龍彦 (著)2016年12月08日


☆☆☆☆☆

澁澤龍彦の作品を読むのは初めて。

この作品集には、平安から江戸時代にかけての日本を舞台にした、幻想的な短編小説が6編収められている。

エピグラフに「オルタンスをさがせ、アルチュール・ランボー」と記された、「ねむり姫」は、14歳にして突然、眠りに陥り、その若さのまま何十年も眠り続けた平安時代の貴族の娘と、破天荒な人生を送った腹違いの兄との不思議な繋がりを描いた作品。エンディングが美しい。

一番、気に入った作品は、「ぼろんじ」。浅草観音詣でに出かけた令嬢、お馨は、酔客に絡まれたところを救ってもらい、名も聞かず別れてしまった青年、智雄、に恋し、思い焦がれる。ある日、観世音菩薩のお告げに導かれて、男装して思いの人を探す旅に出る。そのようなお馨の思いを露知らず、戊辰戦争の混乱を避け、女装して旅に出る智雄。二人は、運命の糸に導かれ、再開を果たすのだが、物理的な再開ではなく、言ってみれば、魂の触れ合いとでも言える、独特な現象が創作されている。

「夢ちがえ」は、産まれてからずっと、耳が聞こえぬがために望楼に幽閉され、矢狭間からのぞく景色が唯一の外の世界であった地方豪族の娘、万奈子姫の話。ある日、矢狭間から城の中庭で曲舞いを舞う武家、小五郎、を見て恋に陥る。その思いはやがて、小五郎の夢を吸い込み、夜な夜な彼の夢の中には老女の面を被った女が現れる。その夢の正体を知り、小五郎の夢を取り戻そうとした、小五郎の情婦の企てで、物語が展開する。

澁澤龍彦は、何となくいままで読まずにいた作家であったが、ファンタジックな魅力に溢れた軽妙なストーリーを精緻な文章て展開する素晴らしい作品に出合えた。今年、大いに売れたアニメ映画「君の名は」にも通ずる物語の面白さが発見できる。

「トリオソナタ」 Kindle版 土居豊 著2016年11月12日



☆☆☆

題名に惹かれて、また、指揮者の藤岡幸夫さんの絶賛もあり、読んでみた。

ウィーンに留学し、指揮者を目指す青年が主人公。

登場人物は、革命家を目指し宗教家になった高校時代の友人、あったことのない日本にいる文通相手の女の子、ウィーンの音楽仲間では、艶やかな中国系ピアニスト、日本とドイツのハーフの天才美少女ヴァイオリニスト、イギリス人の新進テノール歌手など、個性的なキャラクターが配置されていて、音楽や恋愛にまつわる物語が、華やかに展開される。

身に覚えはあるが、若いときは、ややこしいことを考えるもので、主人公は、日本人がクラシック音楽を演奏すること、あるいは、音楽そのものの意義について葛藤する。それぞれに個性的な登場人物たちとのかかわりを通して、主人公の心の内が描かれる。

指揮者としての自分の才能に疑問をもち、生活が乱れ、ほとんど音楽を諦めかけていた主人公が、指導教官とともにプラハに移ることを決意するところで、主人公の青年時代の物語が終わる。

最後の章で、物語は一気に数十年後に飛び、主人公は人気指揮者になって、過去を振り返っている。プラハに移ってから指揮者として成功するまでの、経緯は全く描かれていないのだが、まあ、成功した人生とはそういうもので、お気楽に見えても、青年時代の苦悩の痕跡は心に刻まれているのであろう。

同じ時代に留学をしていた藤岡さんが、この物語が自分の青春時代を彷彿させるとして絶賛しているのだが、音楽エリートの世界というのは、華やかなものなのだな。

「ウッツ男爵: ある蒐集家の物語」 ブルース チャトウィン (著)、池内 紀 (翻訳)2016年10月21日



☆☆☆☆

「プラハの春」の前後の時代、プラハに住んで、マイセン磁器を蒐集し、そのコレクションを時代の波から守り抜いた男の話し。 著者のブルース チャトウィックは、Wikipedia によると、「シェフィールド生まれ。サザビーズに勤めたのち、エジンバラ大学で考古学を学び、新聞社の特派員をへて作家活動に入る。」という経歴の人なので、マイセン磁器の蒐集家という題材はお手のものだったのだろう。

一度目に読んだときには、後半で話の展開が速くなり、ついていけなかった。落ち着いて、読み返してみると、なかなか、味のある小説である。 蒐集家という、根暗、オタクタイプの主人公ウッツ。かなりの遺産を相続し、男爵の称号を持ちながら、その生活は、いたって寂しく、マイセン磁器だけが人生の喜びだった。 子供のころにマイセン磁器の魅力に取りつかれ、かなりの遺産を相続し、男爵の称号を持ちながら、その生活はいたって寂しく、一生をマイセン磁器の蒐集と、時代の波の中で、そのコレクションを守ることがレゾンデートルだった。その動機は文化財を保護するというような高尚なものではなく、マイセン磁器を所有することに対する、極めて個人的、欲望である。

この小説は、ウッツと関係する数少ない人たちを、鋭い観察力で描いた作品。ユーモアと皮肉がちりばめられて、人間中心で物語を進めるスタイルは、小説の中でも引用されているチェーホフを彷彿とさせる。 例えば、保養地にて、豪華な食事を楽しもうとするシーンの描写、 「対岸の草の上で昼食をとっている一家がうらやましかった。幼い子が水ぎわに下りていった。若い母親があわててあとを追いかける。あの人々にまじって、自家製の素朴なパイを食べたいもの。どんなにかおいしいことだろう。(中略)とどのつまり、ウッツは一つの陰鬱な結論に達した。ゼイタクというものは、まわりの条件が劣悪であるときにのみ、たのしめる。」言い得て然りである。

小説の骨格は、マイセン磁器のコレクションにまつわる話と、ウッツに長年お手伝いとして仕えていた孤児のマリアが、ウッツの妻になり、ウッツの暮らしの中で存在感を高めていく様子である。それ以外に、ウッツの話を通して、マイセン磁器が錬金術師が製法を確立した過程など、歴史の中でのマイセン磁器をめぐる逸話が語られ、衒学的な逸話が幾つも語られ、知的好奇心が刺激される。

マイセン幻影という題名で、映画化もされているので、何時か機会があれば見てみたい。

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