NHK交響楽団 第1866回 定期公演 Bプログラム2017年10月01日

東京出張のついでに、新装なったサントリーホールで、N響の定期を聴いた。ヤルビィ氏の指揮は初めて聴くので楽しみだったが、バルトークだけのプログラムは、私にはあまり楽しめなかった。どうもバルトークは苦手である。しかし、会場は完売だし、バルトーク好きも多いのですね。

ということで、いつにもまして中身のない日記だが、記録として書いておく。

日時:2017年9月27日(水) 7:00pm
会場:サントリーホール
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
演奏:NHK交響楽団
演目:
バルトーク/弦楽のためのディヴェルティメント
バルトーク/舞踊組曲
バルトーク/弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽

(追記) アマリアの別荘 パスカル・キニャール (著), 高橋啓 (翻訳)2017年09月23日

先日、ここに取り上げた小説、「アマリアの別荘」について、もう一度。

「アマリアの別荘」の舞台となった地中海の島イスキア ischia。グーグルで調べると、美しい写真が沢山出てくる。海岸の崖の途中にある青い屋根の別荘とは、このあたりかなと思いを馳せる。

本文中の別荘からの風景の記述

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 岩陰にあるその別荘からは、海を一望することができた。
 山の斜面に柵状に張り出した土地からの視界は無限に広がっていた。
 前景、左はカプリ、ソレントの岬。そして、見渡すかぎり海。見はじめると、身動きできなくなるのだった。それは風景ではなく、何者かだった。男ではなく、むろん神でもなく、だが、確かな存在。
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パートナーの浮気を知って、それまでの生活の場であったパリの家を捨て、職場を捨て旅に出た主人公アンが、新しい自分の居場所として見つけたのが、アマリアの別荘。ここで、アンと同性愛関係になった女友達、男友達の娘の女の子との女3人の幸福な時間を見つける。それもつかの間、また、すべてを失うできことが起こる。母親を失い、友達を失い、再会した父親を失い、幼なじみを失い、アンの旅は、ロサンジェルス、ミラノ、シドニーと続く。数少ないファンからは熱烈に愛される音楽を作曲しながら。

小説のタイトル、アマリアの別荘で女友達と3人で過ごした時間が、アンの人生の幸福のクライマックスだったのだろう。おそらく、誰の人生でも、そういうクライマックスがあるのだが、それを実現しているときにはそれと気づかずにいるのだろう。確実なことは、クライマックスは必ず終わるということだ。

C’est la vie.

チェロレッスン 74回目2017年09月23日

今日でレッスン開始以来、丸三年が経過した。ここ数ヵ月、今までにもまして進歩が遅いのだが、一方で、何かブレークスルーが起こりそうな気配(期待)もある。進歩が遅い一つの要因は、終の棲家プロジェクトに夢中で、練習が疎かになっていること。音楽室が完成したら、そこで楽しく演奏するためにも、頑張って練習しようと、自分を鼓舞している。

レッスンはいつも通り、音階、Werner, Lee, Feuillard, Vivaldi sonata, と順にみていただく。

Feuillard は親指ポジションの練習のところであるが、今回から小指も登場。親指ポジションで、小指が届かないと悲鳴を上げたが、ここは、1と2の指は離して取るそうだ。それなら何とか届いて安堵。しかし短い指は辛い。

Vivaldi は、No.5 の第一楽章を合わせていただく。何とか、崩壊せずに弾けた。今回は第一楽章しかさらえていない。2楽章はもっと難しそうである。

「島とクジラと女をめぐる断片」 アントニオ・タブッキ (著), 須賀敦子 (翻訳)2017年09月23日

☆☆☆☆☆

少し前に読んだアマリアの別荘も島を舞台にした小説だったが、島というのは、小説の舞台としてすこぶる優秀で、島が舞台というだけでその本が魅力的に見えてしまう。島の暮らしには、都会の人が忘れているものがありそうに思えるからだろうか。

さて、タブッキの「島とクジラと女をめぐる断片」も、題名の通り島を題材にした小説である。半分は旅行記のような書き方で、島で出会った人々が魅力的に描かれている。(退職金でヨットを買って、モーツァルトの全作品のテープを積んで旅をする夫婦、ヨットの名はアマデウス号)

舞台は大西洋の中心部にあるポルトガル領のアソーレス諸島。日本からはあまりにも遠いところにある。小説を読みながら、グーグルアースを見て想像をふくらました。ここには、かつて捕鯨の町として栄えていた港があり、著者は今も残る捕鯨船に乗り込んで昔ながらの捕鯨を体験している。この部分はほぼノンフィクションだと思うが、迫力がある。

タイトルの通り、島とクジラと女をテーマにして、著者が様々にイマジネーションを膨らました作品である。著者自身も示唆しているように、クジラというのは何か滅びゆくもののメタファーなのだが、この地域の捕鯨のルールや、クジラの生態、さらにクジラの視点で人間を観察するクジラのモノローグと、多様なスタイルを駆使する書法はタブッキならでは。

イマジネーションを膨らませれば、小説の楽しみを満喫できる作品である。

日本センチュリー交響楽団 第219回 定期演奏会2017年09月21日

9月15日のセンチュリー交響楽団第219回定期演奏会。書くのが遅くなってしまったが、先週の金曜日の公演。

今回のハイライトは、カンチェリのステュクス。まったく聞いたことのない作曲家と曲名である。ギア・カンチェリ氏は、1935年生れのジョージア(どこだ?)出身の現代作曲家。今回演奏されるステュクスは、副題が「ヴィオラと混声合唱と管弦楽のための」とあり、ヴィオラはセンチュリーの首席ヴィオラの丸山奏さんが弾く。

演奏前に、普段の定期で違い飯森さんから曲の紹介がある。日本では今回が3度目の演奏になるらしい。初演は、広上淳一氏と日本フィル、2回目は、飯森さんと東京交響楽。ステュクスは、ギリシア神話において、現世と冥界を隔てる河のことで、仏教でいう三途の川のことだとか。この曲は、亡くなった人の魂が現世と冥界の狭間で揺れ動くさまを描いているという。歌詞は最初はグルジア(ジョージア)語で歌われるが、最後に魂が天国に受け入れられると、世界の共通語としての英語に変わる、というような説明がある。なかなかお話しも上手く、曲への興味が増す。

曲は素晴らしく斬新でありながら、理解できない現代音楽ではない。合唱の声を、歌というより、楽器の一つとして使うような手法、敢えて、弦楽器の響きを殺して、擦過音だけにして、不気味な雰囲気をだしたり、静寂を積極的に活用したり、そういう奇抜な手法が多様されながら音楽は、ダイナミックで感動的で、新しいクラシック音楽として、普通の音楽ファンにも十分受け入れられる曲だと思う。最初から最後までエスプレッシーヴォという感じで、演奏は随分難しいのだと思うのだが、センチュリーもバッハアカデミー合唱団も、とりわけヴィオラの丸山さんも、見事に演じた。

これから演奏される機会の増えて欲しい曲である。

第219回 定期演奏会
2017年 9月15日(金) 19:00開演
ザ・シンフォニーホール
指揮:飯森 範親
ピアノ:ジョージ・ヴァチナーゼ
ヴィオラ:丸山奏
合唱:バッハアカデミー合唱団

ラフマニノフ
ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 作品30
カンチェリ
ステュクス 〜ヴィオラ、混声合唱と管弦楽のための

チェロレッスン 74回目2017年09月09日

Lee No.7は、音程がまだ悪く持越し。Vivaldi sonata No.3 (RV 43) の最終楽章、先生に伴奏付けてもらうと不安定なところが多々あるのだが、まあ、いいでしょうとのことで、終了。長いこと弾いているので、お情けで合格にしていただいたような感じで、少し情けない。次は、No.5 に取り組む。

私の前のレッスンの小学生、私が2年前の発表会で弾いたBreval のソナタを弾いていたが、先生の演奏かと思うほどうまかった。音程、リズムがしっかりしているうえに、表現力もある。同じ曲を練習しても、到達しているレベルが全然違うのを痛感した。人それぞれのレベルがあるので仕方がないのだが、もう少しなんとかならんものかな~。

終の棲家 プロジェクト2017年09月03日

妻が亡くなり、娘もそろそろ家庭を持つ(はずだけど)。ここらで自分だけのための、独りで死ぬまで住める家を作ろうと思う。終活のスタートと言えなくもない。メインテーマは音楽室のある家だ。

場所は家族が長年住んでいてこれからも娘が住むであろう堺。堺は、あまり緑豊かなイメージはないかもしれないが、実は、堺区には大阪でも有数の立派な公園、大泉緑地や大仙公園がある。娘が住んでいる堺東と、大泉緑地、大仙公園で囲まれるエリア内を中心に土地探しを始める。

百舌鳥古墳群


知り合いの不動産屋に声をかけておいたら、大仙公園の近くで分譲地が出ているという。取りあえずと思って盆休みに見に行ったら、いきなり気に入ってしまった。世界遺産に推薦された百舌鳥古墳群エリアのど真ん中で、大仙公園まで徒歩3分。世界遺産登録を目指し、風致地区指定されているので、これから街並みが整備される。大きな土地ではないが、一人住まいには十分そうだ。

大仙公園



翌週には、設計をお願いする予定の、音楽室を得意とする設計士の先生に神戸から来ていただいて、打ち合わせ。いつの間にやら本格的に家づくりプロジェクトが始まった。色々構想を考えると楽しい。独り住まいなので、自分だけの好みで我儘な家が作れる。しかし、当然のことかもしれないが、ワクワクしているのは自分だけで、周囲は私の計画に反対はしないが、あまり関心を示してくれない。マンションのほうが良くないの?とか、ワンちゃん飼ったら?、位の反応しかない。まあ、自分の住む家でなければそんなものか。

それはともかく、終の棲家の基本方針: 1.夜でも心おきなくチェロが弾ける程度に防音された音楽室。響きを重視して適度にライブで、フラッターエコーを抑えられるような凹凸と角度のある壁と天井。この部屋はオーディオルームと少人数アンサンブルの演奏部屋とを兼ね、この家の中心。 2.できれば死ぬまで独りで住めるように、機能的でバリアフリーな家。

この基本方針に対して、本日、設計事務所から基本構想の提案を受けた。目から鱗だったのは、音楽室の形状を土地の境界に合わせて斜めにする案と音楽室を2階に上げる案。前者は、当然、並行な壁が減りフラッター低減に有効。後者は傾斜天井を容易に作れるため、やはり、定在波対策に有効。自分でも色々な間取りを考えていたけど、この2案は思いつかなかった。両案とも音響的に良いので採用です。

写真は、百舌鳥古墳群、大仙公園、音楽室の間取り案

音楽室形状

チェロレッスン 73回目2017年08月27日

ということで、エンドピンを交換してから最初のレッスン。先生にはエンドピンを代えたと言わずに、しらっとレッスンに入る。お気づきになっているかもしれないが、特にコメントは無い。

楽器の調子が良くて、練習に集中できたので、何時になく順調に進む。苦心していたWerner No.24 Cantilena が、漸く合格。その次のエチュードも二つ終了。Lee の 40 Melodic studies は久しく手を付けられなかったが、No.7 を弾く。こちらは音程悪く、持ち越し。Feuillard は、親指ポジションの練習継続。親指の痛みはだいぶ軽減。親指ポジションでのビブラートの練習が加わる。最後に、長いこと弾いているVivaldi sonata No.3 (RV 43) は、第3楽章まで終了。残すは第4楽章のみ。これが終わると、無伴奏かと思いきや、その前に、Vivaldi No.5 をやりましょう、とのこと。無伴奏はまたお預け。Vivaldi も好きなので、別に構わない。先生のお考えに従おう。

来年の発表会は、今年と同じVivaldi No.1 を弾きたいと、先生に申し出た。リベンジですね、と私の気持ちを察した先生。はい、今年のはあまりに情けない演奏だったので。でも、本当にこの曲が好きなので、満足のできる演奏ができるようになりたい。

エンドピンの交換2017年08月27日

レッスンの記録の前に、盆休みの間にチェロのエンドピンホルダーとエンドピンを代えたので、その仔細を紹介しておく。

前から、エンドピンの付け根当たりの組付けがチェロに馴染んでいないような気がして気になっていたのだが、エンドピンホルダーやエンドピンについて調べていると、見附精機工業というところで、ネジでエンドピンを固定するのではなく、ドリルの先端のように、チヤックでエンドピンを固定するホルダーが開発されいる。この会社、エンドピンも様々なものを作っていて、結構、世界的に評価されているようなのだ。所在地が大阪ということで、アポを取って訪問する。

社長の見附さんは、趣味でチェロを弾き、アマオケに所属。奥様もピアノやヴァイオリンを弾かれるそうだ。訪問すると、立派な音楽室に案内され、ご主人がホルダーの交換作業をされる間、奥様と音楽談義をさせていただく。なんと、ご主人は趣味が高じて、チェロも自作されたという。

ホルダーを交換後、エンドピンを色々変えて試奏させていただく。まず、エンドピンの太さであるが、一般に8mm か 10mm のどちらかが使われている。日本では8mm が多いが、背が高い人がエンドピンを長く出すことの多い欧米では 10mm が主流らしい。私は、そんない長く出さないが、安定感のありそうな10mm を試すことにする。ちなみに、これまで使っていたエンドピンは8mm 。今回付けていただいたホルダーは、中にいれるチヤックを代えれば、どちらの太さにも対応できる。

10mm のエンドピンにして、チェロの安定感に感激。それまで感じていた、何となく撓みそうな不安がなく。ビブラートもかけ易い。エンドピンの材質を色々代えて、試しみる。カーボン、タングステン+チタン+真鍮、タングステン+チタン+真鍮+カーボン。この最後の4種類の材質を組み合わせたエンドピン、その名もカルテット。これが素晴らしい。その響きに感動。そのまま、持ち帰ることに。

弾くのが楽しい。音が大きく、良く響く。上手くなったような気分。響きがいいので、音程が正確に取れるような気もする。暫く楽しめそうだ。

アマリアの別荘 パスカル・キニャール (著), 高橋啓 (翻訳)2017年08月15日

☆☆☆☆☆

久しぶりに、自分の好みのど真ん中を貫いてくれる、心底面白いと思える小説に出会った。読みだしたら止まらないけど、読み終えるのがもったいないという感じ。何が面白いか、説明するのは難しい。

作品は、交響曲のようは4部構成で、各部で舞台となる場所や、文章のスタイルが変わる。主人公の女性アンは現代音楽の作曲家。どんな曲を作曲するのかというと、古典音楽を聴いて、そのエッセンスを抽出して作曲するという風変わりな仕事をしている。作曲家としての仕事の描写は、音楽をよく知っている人しか書けないなと思わせるものがあった。調べてみると、キニャール氏の著書には、「音楽への憎しみ」、「音楽のレッスン」など、音楽をテーマにした作品が結構ある。

さて、この小説の内容であるが、アンはある日長年連れ添ってきたパートナー(結婚はしていない)の浮気を発見。そこからの彼女の心の動きの描写が上手いし、とても大胆でカッコいい復讐の行動は、ワクワクさせてくれる。あちこちで意外な展開をみせるプロットの面白さ、個性的で魅力に溢れる登場人物、に加え、小説のスパイスとして欠かせない幻想性も適度に加えられている。

ここまで書いてみて、我ながら魅力の伝わらない感想文だと思う。でも、こんな小説があれば、生きているのも悪くないと思うことができる小説である。
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