牧逸馬の世界怪奇実話 (光文社文庫)2017年07月02日

牧逸馬(まき いつま)は、長谷川 海太郎という、1920、30年代に大活躍した作家のペンネーム。この人、またの名を林不忘(はやし ふぼう)と言い、「丹下左膳」シリーズの著書。さらに旅行記を書くときは、谷譲次を名のった。

1900年に佐渡に生まれ、函館で育つ。学生時代から英語が堪能、文学青年でありながら、応援団長で喧嘩に明け暮れるという、破天荒な学生だった。1920年に日本を飛び出し、1924年まで米国を放浪。帰国して、流行作家になる。1928年から、1年3ヵ月の間、欧米を旅し、怪奇事件を扱った書物を買い占めて調査。その時の成果が、本書「世界怪奇実話」になった。

1935年に短い生涯を閉じるまでに、三つのペンネームを駆使し、それぞれに大流行作家となり、売り上げで御殿を築いたそうだ。昭和の初めにこんな面白い作家がいたとは、いままで全く知らなかった。

この世界怪奇実話、欧米で世間を騒がせた、世にも恐ろしい、あるいは奇妙な事件について、著者が欧州で買い集めた様々な記録を紐解いて、様々な視点から事件を描写したものである。収められている事件は、
「切り裂きジャック 女体を料理する男」
「ハノーヴァーの人肉売り事件 肉屋に化けた人鬼」
「マリー・セレスト号事件 海妖」
「タイタニック号沈没 運命のSOS」
「マタ・ハリ 戦雲を駆る女怪」
「テネシー州、猿裁判 白日の幽霊」
「ローモン街の自殺ホテル」
「双面獣」
「クリッペン事件 血の三角形」
「ウンベルト夫人の財産」
「女王蜘蛛」
「ドクター・ノースカット事件 土から手が」
「ブタペストの大量女殺し 生きている戦死者」
「浴槽の花嫁」
の 14編。

タイタニック号やマタ・ハリの名は、いまでこそ、日本でもあまりに有名であるが、当時、ほとんど知る人もいなかったらしい。他の事件は猶更である。

この本を読んで、驚くのは、まず、その語り口が、現在の週刊誌に載せても可笑しくないほど、現代的あること。次に、欧米の文化風俗の描写の自然さ。当時の日本の一般大衆は外国人や外国文化との接点は極めて限定されていた筈で、外国の文化とは、モノクロの無声映画を通して覗き見るようなものだったのではないだろうか。気軽に海外に出かける現代人とは違うのである。それを、牧逸馬は、気取りも無く、隣町での出来事のように自然に、生き生きと描写している。

本書で扱われた事件は、血なまぐさいものが多いのだが、それらと一線を画しているのが、「テネシー州、猿裁判 白日の幽霊」である。これは、テネシー州の反進化論法に違反した疑義で告訴された教師の裁判という形で行われた、反進化論法に関する争いの話である。

その軽妙な語り口を少し引用してみる:

『スコープス君に相談すると、対「反進化論法」の実験用として、法廷に立つことを辞さないという。つぎは、軍資金の問題。が、これは「アメリカ自由市民ユニオン」- American Civil Liberties Union - なる団体が、被告の裁判費用をひき受けることになったので、そこで、馴れあいである。だれかが告訴しなければ事件にならないから、ラブリー博士がスコープス君をおそれながらと訴えでた。
「あの者は、不届きしごくにも御禁制の進化論を教えておりますようでー」
そいつは大変と内偵してみると、なるほどスコープス君は涼しい顔で、さかんに教場で進化論入門みたいなことを弁じたてている。もってのほかとあって、逮捕尋問におよぶと、待ってましたとばかり、
「進化論を教えるのがなぜいけない。よし!裁判にかけてもらおう」
と呆れかえったずうずうしい返事だ。
予審裁判官によって起訴された。
テネシー州 The State of Tennessee 対ジョン・タマス・スコープス John Thomas Scopes の公判。
罪名は、「教えちゃいけないってのに進化論を教えた罪」』

これに続いて、陪審員に選ばれた農家のおじさんのすっ呆けた答弁や、反動政治家の大本山ウィリアム・ジェニングス・ブライアンと、ニューヨークの有名弁護士クレアランス・ダローの一騎打ちの論戦が、面白おかしく描写される。まことに、当時のアメリカの世相が生々しく感じられる文章である。

タイタニックにしろ、マタ・ハリにしろ、いまではよく知られた事件ではあるが、私自身は、何となく映画をみたり、話を聞いたことがある程度の知識しかない。なので、事件の詳細は、この本で初めて知ったことばかりである。牧逸馬の文章で読むと、単に事件の記録を知るだけでなく、同時代の事件として語られているため、当時の人がどのような驚きで事件を受けとめたのかまで伝わってくる。日本の当時の読者に与えた驚きも大きかっただろうと思う。

紹介された事件の怪奇さも衝撃だが、長谷川 海太郎という人物の存在を知ったことが、嬉しい衝撃であった。これから、この人の残した沢山の本を読むのが楽しみである。

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