チェロレッスン 59回目2017年01月07日

2017年最初のレッスンを受けた。

毎回、レッスンの最初に調を指定されてスケールを弾くのだが、一回目は大概音程がぶれる。繰り返すと良くなるのだが、楽器を持ったらすぐに弾けるように、考えずに弾けるように、ならねばと思う。

Werner のNo.22、Lee のNo.1 ともに、会社に遅れそうで慌てて出勤しているような演奏ですね、との苦言。寄り道しながらゆっくり帰るような弾き方してごらんとのご指導。比喩が分かり易くてありがたい。

具体的なご指摘は、弓の2/3位しか使えていないし、音が上っていくところは早く進んでもいいが下がるところでもとに戻さないので、どんどん早くなっているとのこと。

FeuillardはNo.35 が終わった。

初めてのVivaldi のソナタ RV47 は、第2楽章の前半まで聞いていただいた。ここでも、第1楽章は、もっとゆったり弾きませんかとのご指摘。2楽章は軽快に弾いてコントラストを付けてくださいとのこと。3連符をビルスマの真似をして、ターララと弾きたかったのだが、初めは楽譜通り弾いてから、アレンジは後と、釘を刺されてしまった。当然だと思う。

この曲、写真のように、変ホ長調でテノール記号で書かれているのだが、これが今の私には、とても厄介である。まず、テノール記号はまだ不慣れなので、これを読むのが一苦労。それだけではない。中学生の頃、フォークソングを歌うのに、移動ド読みを使った後遺症で、譜面を見ないと頭の中は、移動ド読みになる癖があるのだが、悪いことに、移動ド読みが、テノール記号より少しは慣れのあるト音記号読みと一致している。という偶然?の重なりで、固定ドと移動ドが混じって、どちらで読んでいるのかわからなくなる。この先、訓練すれば固定ドで歌えるようになれるのか不安である。

日本センチュリー交響楽団 第214回 定期演奏会2017年01月14日

コンマスの松浦さんとハーゲンさん(楽団のツイッターより)
昨日はセンチュリーの定期公演。今年最初のコンサート鑑賞であった。曲は、ドヴォルザークのチェロ協奏曲と、ベートーヴェンの田園。チェリストは、クレメンス・ハーゲン。ハーゲンさんは、兄弟で結成したハーゲン弦楽四重奏団で有名な方なのだが、聴くのは初めて。

会場に入って驚いたのは、お客さんの入りが悪いこと。飯森さんとセンチュリー、いい演奏を続けていると思うのだが、新年早々の定期で、7割程度の埋まり具合は、寂しい。

チェロ協奏曲は、ハーゲンさんのチェロの音色が素晴らしい。渾身の力を込めて、一音たりとも気を抜かない気迫の演奏。ビジュアル的には、凄まじい音がしそうなのだが、出てくる音はあくまで優しく、優雅である。視覚からの印象と聴覚からの印象の乖離が面白い。オーケストラもチェロに寄り添い、ドヴォルザークの清々しい音楽の雰囲気をよく出していた。写真は、息のあった演奏を披露したコンミスの松浦奈々さんとハーゲンさん(日本センチュリー交響楽団のツイッターより)。

田園は、私にとってはベートヴェンの交響曲の中で最も親しみのもてる曲で、沢山の演奏を聴いている。今回の演奏も、楽しめたが、何か、日本的なまとめかたで、少し物足りないような気がした。どこからくる印象なのかはよくわからない。今日は、佐渡さんのPACの田園があるので、こちらとの比較が楽しみである。

コンサートの後、福島駅近くの懐石料理「山崎」にて食事。ここは、とても心地のよい場所、料理、値段、雰囲気、三拍子そろっている。


日時:2017年1月13日19時
会場:ザ・シンフォニーホール
指揮:飯森 範親
演奏:日本センチュリー交響楽団
チェロ:クレメンス・ハーゲン
曲目:
ドヴォルザーク、チェロ協奏曲 ロ短調 作品104
A.Dvořák, Concerto for Violoncello and Orchestra in B minor, Op.104
ベートーヴェン、交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」
L.v.Beethoven, Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastorale"

兵庫芸術文化センター管弦楽団 第94回定期演奏会2017年01月14日

本日は、佐渡+PACで、昨日に引き続き、田園を聴いた。会場の、兵庫県立芸術文化センター(芸文)の大ホールは、大きな会場が満員だった。プログラムは、ドビュッシーの小組曲、藤原真理さんを迎えてハイドンのチェロ協奏曲 第2番、ベートーヴェンの 「田園」。チェロ協奏曲+田園、という構成は、昨日のセンチュリーと同じである。しかも、昨日は世界的なチェリスト、ハーゲンさんが来られていたのだが、それでも客の入りは7割程度。この違いは、佐渡さんと飯森さんの知名度の差か、大阪と兵庫の文化レベルの差か、あるいは、大阪のオケが多すぎるためか、と思いを巡らせた。昨日は金曜の夜、今日は土曜の午後というそれだけの違いかもしれないが。もう一つ、忘れてはならないのが料金の差、センチュリーが1,500円~7,500円、PACが1,000円~4,000円、この差は大きい。センチュリーのメンバーは本業としてやってるから、PACと同じにはならないでしょうね。

肝心の演奏ですが、ハイドンのチェロ協奏曲2番、これは、おそらくセンチュリーとやったらもっと藤原さんのチェロとしっくりしたのではと思う。一方の田園は、私はPACの演奏がより楽しめた。メンバーが若いせいなのか、佐渡さんが作り出す雰囲気なのか、音楽の力強さがベートヴェンらしさを表現していて、私のなかでの田園への期待により応えてくれた。

いや、そんな優劣を付ける必要はないのだろう。二日間、どちらの音楽会も楽しむことができた。もっと沢山の人に、特に若い人に、足を運んでほしいですね。

日時: 2017年1月14日
会場: 兵庫県立文化芸術センター大ホール
指揮・芸術監督: 佐渡 裕
チェロ: 藤原 真理
管弦楽: 兵庫芸術文化センター管弦楽団
プログラム:
ドビュッシー:小組曲(H.ビュッセル編曲)
ハイドン:チェロ協奏曲 第2番 ニ長調
ベートーヴェン:交響曲 第6番 ヘ長調 「田園」

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉、 岡田 暁生(著)2017年01月20日



☆☆☆☆★

自分にとって楽しめる音楽と楽しめないものがあるのは何故だろう。人が感動したと言っているものが解らなくて悔しいと思うことがよくある。特に、それを語る人が、人間的に共感できる人である場合はなおさらである。それは、単に、感性の違いのようなものなのか、であれば、感性の違いはどこからくるのだろうか。感性が違うといっても、それは、質的な違いなのか、あるいは、量的な違いなのだろうか。感性を磨く、という言葉あるように、感じ取ることが出来ないのは、感度が不足しているということなのだろうか。

そういう、疑問に対して、私が始めたのは、能動的に音楽をしてみるということであった。遅まきながら、還暦を目前にチェロの練習を初めてみた。ただし、こちらの進捗は遅々としていて、演奏することで音楽に対する感性がどう変化するかの答えは中々出そうにはない。音楽が細部まで聞こえるようにはなってきたが。

そんな疑問の答えを探したくて手にした本が、岡田 暁生さんの「音楽の聴き方」。岡田さんの著作は、以前、西洋音楽史―「クラシック」の黄昏、 を読んで、明解で面白い語り口に関心した。この本からも、岡田さんの明晰な論理で、多くの示唆をもらうことができた。

●相性
ある音楽に共感するかどうかは、聴く人のうち形成されている価値観による。この価値観は、必ずしも個人的なものではなく、時代や集団により刷り込まれて形成された部分が多い。だから、時代ごとに、国により、あるいは社会階級により、異なる音楽が好まれるのである。だが、著者は言う、『とはいえ、音楽に対する反応がすべて「相性」のみに還元されてしまうのだとすれば、それではいかにも寂しい。』 しかし、『相性だの嗜好だの集団的な価値観の違いだのといったことを突き抜けた、... 超越的な体験』も、確かにある。それは、『ひょっとすると「未知なるものとの遭遇」であるのかもしれない』

●音楽を「する」/「聴く」/「語る」の分裂
18世紀までの音楽作品には、アマチュアが弾いて楽しむためのものが沢山あった。19世紀に入るとともに、音楽は専門化し、演奏するもの、批評するもの、聴くもの(一般聴衆)に分裂する。やがて、ラジオ、レコートの普及にともない、感動エピソードを売り物にする、巨大な音楽市場が生れる。そのような現状を、著者は、パブロフの犬になぞらえ、危惧する。ヒーリングミュージックの類の考えなくていい音楽、その究極は、どんな「感動」も思うままに電気刺激で再生が可能になる未来である。

●「音楽は国境を超える」
本書で、音楽が世界共通、というのが、如何に稚拙な主張であるかが、議論される。ある音楽に共感するには、共通の文法、文化の前提が必要であり、そもそもわからない音楽というのは、あり得るのだ。クラシック音楽に限っても、その解釈、演奏スタイルは、時代とともに変容している。作曲された当時と、現代の演奏とはずいぶん違うのであろう。音楽作品には、その時代やそれを聴き続けた人々の集団的記憶が積み重なっている。そういう作品の歴史を踏まえて輝かそうとするのがフルトヴェングラーの指揮であった。対照的に、トスカニーニは譜面がすべてであるとして、そういう歴史的背景、意味を捨象した。具体的な演奏では、例えばポリーニのショパンのあるフレーズのリズムの特異性を指摘して、こういう演奏の解釈の仕方(の可能性)を論じている。この本では、実例が沢山挙げられているので、実際に、演奏を確認しながら読むのが面白い。

●音楽は文脈と不可分
著者の主張は、以下の言葉に凝縮されている。「音楽は必ず文脈の中で鳴り響き、私たちは文脈の中でそれを聴く。歴史/文化とは音楽作品を包み込み、その中で音楽が振動するところの、空気のようなものなのである。」、「今の時代にあって何より大切なのは、自分が一体どの歴史/文化の文脈に接続しながら聴いているのかをはっきり自覚すること、そして絶えずそれとは別の文脈で聴く可能性を意識してみることだ」 まさしく、村上春樹の著書「意味がなければスイングはない」と同じ主張である。

●聞き上手へのマニュアル
本書の最後に、聴き上手へのマニュアルとして、著者のアドバイスがリスト化されている。これも、うなづけるところが多い。例えば、『「誰がどう言おうと、自分がそのときそう感じた」―これこそがすべての出発点だ』、『「理屈抜きの」体験に出会うこと』、同感である。ところで、『世評には注意』と、『多くの音楽は「語り部」のよしあしにより、面白く聴こえたり、退屈になってしまったりする』という、一見背反する意見も、音楽は文脈と不可分という側面を表すものだろう。世評という文脈の中で面白く聴ければそれもありだ。

チェロレッスン 60回目2017年01月21日

60回目のレッスンを受けた。

先週から右の肩甲骨付近に痛みがあり、十分に練習できなかった。朝になると解消しているのだが、チェロを一時間も弾いていると痛みが出てくる。ということを、レッスンの冒頭で申告した。ボーイングの動作に無理があるのかもしれないということで、手首の向きや、力の入れ方のアドバイスをいただく。以前の腱鞘炎の時もそうだったが、親身になって心配していただき、ありがたかった。

Werner のNo.22とLee のNo.1 は、前回よりゆったりと弾くことができて、あがり。FeuillardはNo.36 は、練習曲Sicilian をデユエットしていただくが、途中間違えてもう一度。とても美しい曲なので、もう一度デユエットできるのがうれしい。

Vivaldi のソナタ RV47 は、第2楽章まで見ていただく。第1楽章を少しスタカット気味に弾いていたのが、先生のイメージと違うようだ。参考として、オーフラ・ハーノイというチェリストが演奏するCDを貸していただく。この美貌のチェリストの演奏、とてもいい。これを参考に、第1楽章はゆったりと、第2楽章は軽快に飛ばして弾きましょう、ということだった。第1楽章だけYoutube にあったのでリンクしておく。



関西フィル 華麗なるニューイヤーコンサート2017年01月27日

関西フィルのニューイヤーコンサート、前半は、藤原道山さんの尺八との共演。恥ずかしながら生で尺八の音を聴くのは初めて。それが、藤原道山さんの演奏なので、衝撃の体験であった。息の音を積極的に使う尺八の音色で演奏する西洋音楽は、とても新鮮である。それにしても、4本の尺八を使い別け、西洋音楽を完璧に演奏する道山さんの演奏技術はすごい。今日のコンサートでは、演奏の合間の藤岡さんとのトークが面白かった。道山さん、10歳から尺八を初めていたが、高校ではブラスバンド部でフルートと指揮をしていたそうだ。

後半は、チャイコフスキーで一番人気の交響曲第5番。演奏前の、藤岡さんの解説も良かった。明るい第4楽章を、ブラームスがここだけは良くないと評したのに対し、チャイコフスキーが自分もこの楽章は嫌いだと言ったそうだ。藤岡さんはこの楽章に、悩めるチャイコフスキーの、線が切れたような狂人性を感じているそうだ。演奏はそこをうまく表現できていたと思う。演奏の前に、演奏のポイントが解説されるというのも、音楽の聴き方としてありかなと思った。

日時:2017年1月27日
場所:いずみホール
演奏:関西フィルハーモニー
指揮&お話:藤岡 幸夫
尺八:藤原 道山
演目:
【第1部】
ジャンルを超えたスーパー・コラボが実現・・・藤原道山とのエキサイティング・ステージ
●アンダーソン:舞踏会の美女(オーケストラ)
●千住 明:黄金の海(with 藤原)
●冨田 勲:新日本紀行(with 藤原)
●冨田 勲:武士の一分(with 藤原)
●坂本 龍一:SEVEN SAMURAI(with 藤原)
●藤原 道山:東風(with 藤原)

【第2部】
●チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64

ベルリン・フィル八重奏団2017年01月28日

今日は、芸術文化センターで行われたベルリン・フィル八重奏団の演奏会を聴いた。

KOBELCO大ホールが満員の盛況である。実は、チケット買い損ねて、ヤフオクで手に入れたのだが、定価以下で落札できたチケットが最前列だった。オーケストラだと最前列はあまり良い席ではないが、室内楽をこの大きなホールで聴くには最高の席だった。

ベルリンフィルのメンバーによる室内楽は、「12人のチェリストたち」も人気があるが、演奏が少しエンターテイメント的である。それはそれで良いのだが、オクテットのほうは、純粋なクラシック音楽を楽しむことができる。

今回のメンバーの演奏は、その音色の美しさ、緊迫した空気感、まさに絶品、この世で望みえる最高の音楽のように思えた。プログラムのハイライトは、もちろん、シューベルトの八重奏曲、特に最終楽章。チェロとバスの刻みの音の柔らかさ、それに支えられて現れる旋律の美しさ、特に樫本さんの奏でるヴァイオリンの音色が素晴らしい。この至福の時が終わらないでくれと願った。岡田 暁生さんが著書「音楽の聴き方」に書いていた、『「理屈抜きの」体験』に出会ったように思う。

日時:2017年1月28日
場所:兵庫県立芸術文化センター
演奏:
第1ヴァイオリン 樫本大進
第2ヴァイオリン ロマーノ・トマシーニ
ヴィオラ アミハイ・グロス
チェロ クリストフ・イゲルブリンク
コントラバス エスコ・ライネ
クラリネット ヴェンツェル・フックス
ホルン シュテファン・ドール
ファゴット モル・ビロン
プログラム:
ニールセン:軽快なセレナード(クラリネット、ファゴット、ホルン、チェロ、コントラバスによる五重奏)
ドヴォルザーク:5つのバガテル op.47(ウルフ・グィド・シェーファー編/ベルリン・フィル八重奏団のための編曲)
シューベルト:八重奏曲 ヘ長調 op.166, D803

ある島の可能性 ミシェル・ウエルベック (著), 中村佳子 (翻訳)2017年01月30日



☆☆☆☆★

懲りずに、ウエルベックに戻ってきた。 「地図と領土」 「プラットフォーム」に次いで三冊目。「永遠の命」という、古典的テーマに斬新な切り口で挑んだ大作。また、打ちのめされる。

鬼才ウエルベックの面目躍如、奇想天外な構成で物語が展開する。前半は、永遠に再生され続ける命を手にしたネオヒューマンである24世代目と25世代目のダニエルが、数千年の未来から振り返る初代(人間)ダニエルの物語。成功したコメディアンであったダニエルは、老いとともに愛を失い絶望に苦しむ。その苦悩の日々に、ダニエルが巻き込まれる新興宗教の誕生物語。

ダニエルを通して描かれる人間は、死の影に怯えない若者だけが束の間の喜びを享受できる。「人間は死のない世界以外では、愛を実現することはできないんだ」というテーゼに基づき、不死を実現する新興宗教が生れる。やがて科学の進歩が宗教に追いつき、ダニエルのDNAからネオヒューマンが再生され、ダニエルの記憶が伝達される。ネオヒューマンの世界では、『個人の自発的な行動が、意思や、執着、欲望の母胎である』として、すべての行動はマニュアル化されている。そこには、目的もなく、穏やかな生活が続き、やがて世代を交代し再生される。

そして物語の最終章、永遠に続く平安の世界を飛び出し、未知の世界へと冒険に出る25代目のダニエル、その行くてに待ち受けるものは。。。

『それは時間の真ん中に存在する

それはある島の可能性。』


老いとともにすべての人は不幸になる、というダニエルの人生観。そんなことは無い、と自信を持って言えない自分に気が付く。しかし、永遠の命を手にしたネオヒューマンの人生も、素晴らしいものではなかった。本書の初めに言う、『この本は<未来人>に情報を提供するために書かれている。人間にはこんなものがつくれたのかと、彼らは言うだろう。無でもないが、完全でもない。つまりこれは中間的な産物だ』と。未来人とはどんな存在なのだろうか。本書は言う、『「精神」の誕生に立ち会うのは、未来人をおいてほかにない。しかしながら未来人は、我々の解釈する意味からすれば、人間ではない。僕の言葉を畏れたまえ』
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