ベルリン国立歌劇場の蝶々夫人2016年11月02日

昨日、11月1日の夜にベルリンに入り、今日はベルリン国立歌劇場の蝶々夫人を聞いた。国立歌劇場とは言え、本来のオペラハウスは、6年前から改築中で、かなり狭いシーラー劇場での公演。

蝶々夫人を演じたAlexandra Voulgaridou さん(写真)、全く知らなかったが、声も演技も素晴らしい。オペラ全体はクラシカルな演出で、登場する沢山の日本人役の着物の着こなしや立ち居振舞いもしっかり訓練されていて、違和感がない。皆さん、正座させられて辛そう。指揮は韓国の女性 Eun Sun Kim さん。こちらも初めて知ったお名前。

無難な演出で、期待通りの効果をあげるのは、さすが本場の歌劇団。cozyなシーラー劇場に、相応しい公演だったと思う。

実は今日、散歩からホテルに戻った後、時差ボケで寝てしまい、目覚めたら、開演の40分前。飛び起きて着替えて、地下鉄の駅に向かう。乗り換えで迷い、出口でも迷って、到着は開演予定を5分過ぎ。まさに入り口に施錠するところを入れてもらい、係のお兄さんに先導されてダッシュ。二階最前列の20人の前を横切って、席まで後数秒のところで序曲が鳴り出した。迷惑なオジさんを演じてしまい恥ずかしかった。

キアロスクーロ クァルテット2016年11月03日







シュニッツェルとピルスナーで腹ごしらえして、今日は遅れないように、ベルリンコンサートホールでのキアロスクーロ クァルテットの公演に向かう。キアロスクーロは、ロシア出身のヴァイオリン奏者アリーナ・イブラギモヴァが率いるヨーロッパの四人組で、この春には、初来日もしている。出身は、下のメンバーリストのように国際色豊か。

ヴァイオリン
Alina Ibragimova (Russia)
Pablo Hernán Benedí (Spain)
ビオラ
Emilie Hörnlund(Sweden)
チェロ
Claire Thirion (France)


キアロスクーロの演奏は、ガット弦を張ったモダン楽器で、ノンビブラートのバロック奏法というスタイル。ヴァイオリンとヴィオラは立って演奏、チェロはエンドピンを立てずに、抱えて演奏していた。

演目は、最初がモーツァルトのハイドンセットから「春」、次がハイドン「五度」、最後がベートーベン「ハープ」と、ストレート三球勝負。

柔らかなガット弦の音色が溶け合い、えも言われぬ美しさ。特にハイドンは、この演奏スタイルとの相性が良く、絶品。ガット弦あこがれてしまうが、難しいのだろうな。楽章毎にチューニングしていたし。



ベルリンフィル とサイモン・ラトル2016年11月04日

ベルリン訪問最終日は、今回のハイライト、サイモン・ラトル指揮のベルリンフィルである。2002年より続いたベルリンフィルとの契約が、とうとう2018年で満了することが決まり、彼の振る日のチケットは大変な人気である。私は一般販売開始と同時にウェブで購入したが、数分後にソールドアウトしていた。

この日の演目は、前半が新ウィーン学派三人組 Webern, Schönberg, Bergのオーケストラのための作品、後半がブラームスの交響曲2番。正直、後半目当てである。

公演のはじめにラトルさんが少しスピーチをされたのだが、ドイツ語で全くわからない。きっと、前半のプログラムが近代音楽ということで、それを取り上げた意義、後半のブラームスとの関係のようなことを説明されたのかと推測する。

演奏であるが、前半は、ラトルとベルリンフィルであっても、私には無理だった。どう聞けば良いのかわからない。 時々、凄まじいタイコで心臓が飛び出しそうになりながらひたすら耐えるしかなかった。

前半を耐えた人は、後半で天国にお連れしましょう、というプログラム構成なのかと邪推してしまうほど、ブラームスの2番は美しかった。管と弦の見事な呼応、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、バスがかなでる波のような音のうねりに酔いしれる。

ラトルさんやベルリンフィルの皆さん、あるいは観客の一部の人は、前半の音楽にもブラームスに比肩する美を感じることができるのだろうか。羨ましいものだ。

演奏:Berliner Philharmoniker
指揮:Sir Simon Rattle
演目:
Anton Webern
Six Pieces for large orchestra op. 6b
Arnold Schoenberg
Five Pieces for orchestra op. 16
Alban Berg
Three Pieces for orchestra op. 6
Johannes Brahms
Symphony No. 2 in D major op. 73


「トリオソナタ」 Kindle版 土居豊 著2016年11月12日



☆☆☆

題名に惹かれて、また、指揮者の藤岡幸夫さんの絶賛もあり、読んでみた。

ウィーンに留学し、指揮者を目指す青年が主人公。

登場人物は、革命家を目指し宗教家になった高校時代の友人、あったことのない日本にいる文通相手の女の子、ウィーンの音楽仲間では、艶やかな中国系ピアニスト、日本とドイツのハーフの天才美少女ヴァイオリニスト、イギリス人の新進テノール歌手など、個性的なキャラクターが配置されていて、音楽や恋愛にまつわる物語が、華やかに展開される。

身に覚えはあるが、若いときは、ややこしいことを考えるもので、主人公は、日本人がクラシック音楽を演奏すること、あるいは、音楽そのものの意義について葛藤する。それぞれに個性的な登場人物たちとのかかわりを通して、主人公の心の内が描かれる。

指揮者としての自分の才能に疑問をもち、生活が乱れ、ほとんど音楽を諦めかけていた主人公が、指導教官とともにプラハに移ることを決意するところで、主人公の青年時代の物語が終わる。

最後の章で、物語は一気に数十年後に飛び、主人公は人気指揮者になって、過去を振り返っている。プラハに移ってから指揮者として成功するまでの、経緯は全く描かれていないのだが、まあ、成功した人生とはそういうもので、お気楽に見えても、青年時代の苦悩の痕跡は心に刻まれているのであろう。

同じ時代に留学をしていた藤岡さんが、この物語が自分の青春時代を彷彿させるとして絶賛しているのだが、音楽エリートの世界というのは、華やかなものなのだな。

ラトルのスピーチ2016年11月18日



先日、記事をアップした、11月4日のベルリンフィルのコンサートが デジタルコンサートホールにアップされていた。新ウィーン学派三人組の作品の演奏の前にあったラトルのスピーチ、ドイツ語だったので当日は全くわからなかったのだが、英語字幕が付いていたのでやっと理解できた。

話は、想像していたのとだいぶ違い、以下のような内容:
「この三つの作品は、連続してこの順序で演奏するのがいいと思うのです。シェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクの順、あるいは、5、6、3の順です(5、6、3、はそれぞれの作品の構成小曲数)。これらは、言ってみれば、14の楽章からなる混成作品。マーラーの交響曲第11番だと言ったほうがいいかもしれません。そんなわけで、三つの作品の間での拍手はご遠慮してくださるとありがたいです。でも、拍手していただければ、それはそれでいいかもしれません。」

観客はラトルの要請に忠実で、結局、拍手は3作品の終わりまでなかった。 ラトルが、マーラーの11番だと言ったのは、マーラーがシェーンベルクを高く評価していたことによると思う。

アップされたビデオの中に、自分の姿を発見。2回連続で、私が見に行ったときの映像がアップされている。ラッキーと言っていいのか?

チェロレッスン54回目2016年11月19日

3週間ぶりのレッスン。Werner はパート1の最後のページに到達。今年中には、終わりそうだ。Feuillardは、ポジション移動の練習が中心で、No.29 まで、ほぼ終わり、宿題はNo.30, 31。

取組中の、L. Mendelssohn の Student Concerto は、第1楽章が完了。第2楽章はビブラートをしっかりかけて、もう一度。最後の第3楽章の練習を開始。ここで、初めて、憧れのスピッカートを習う。弦の上で、弓を弾ませる奏法。先生のお手本に感動する。このStudent Concerto という曲、Youtube でも、第1楽章の演奏しか見つからない。あまり弾いている人はいないようだけど、全楽章それぞれ面白い。

さて、バーレンライター版無伴奏組曲、Werner のパート2、Sebastian Lee の 40 Melodic Studies, Vivaldi のSix Sonatas, と今後取り組む楽譜は、たくさん揃っている。来年が楽しみだ。

日本センチュリー交響楽団 第213回定期演奏会2016年11月25日

センチュリーの定期に、ファジル・サイさんが出演、モーツァルトのピアノ協奏曲 第21番の演奏に加え、かれの作曲したイスタンブールシンフォニーが演奏されるということで、期待を膨らませて出かけた。

今日の座席は、ステージの後ろの最前列真ん中。飯森さんと向いあう位置で、パーカッションの真上。正面に観客席が広がり、観客に見られて演奏している気分が味わえる。

テンション上がる中で、オープニングは、大好きな、「後宮からの逃走」序曲。軽快な旋律で、ドラマの幕開けを告げる。サイさんが登場して、いよいよ、ピアノ協奏曲。この座席から見ると、サイさんと飯森さんの掛け合いや、サイさんが、オーケストラに語りかける様子が手に取るようである。サイさんがメロディを口ずさむ、その歌声まで聞こえてくる。彼のカデンツァがすこぶる綺麗。飯森さんとサイさんの掛け合いの動作も優雅で、視覚的にも美しい。サイさんのアンコールは、十八番のトルコ行進曲。ジャズ風のアレンジが、かっこいい。

後半は、サイさんの作曲によるイスタンブールシンフォニー。トルコの民族楽器、ネイ(葦笛)、カーヌーン(琴)、クドゥム(打楽器)の演奏者も来日して参加。様々な音色を聞かせてくれる。曲はシンフォニーというより交響詩であり、副題の付いた7つの曲で構成されている。パーカッションが重視された曲で、凄まじい迫力で、バストラム、ティンパニー、シンバル、などがリズムを刻む。随分早いリズムも多いが、旋律楽器もそのリズムにのって演奏しているのは、さすがである。なかなか、楽しい曲であるが、この席(パーカッションの真上)で聴くと余りに大きな音が少し苦痛であった。

ツイッターで飯森さんに簡単な感想を送ったら、すかさず返事を貰えた。



16.11.25(金)
会場:ザ・シンフォニーホール
指揮:飯森範親
ピアノ:ファジル・サイ 
曲目:
モーツァルト/歌劇「後宮からの逃走」序曲
モーツァルト/ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467
ファジル・サイ/交響曲 第1番「イスタンブール・シンフォニー」op.28

音楽教室発表会2016年11月27日

左から二人目がコンミスのMちゃん
23日の祝日に、私がアンサンブルで参加している音楽教室の発表会があった。こちらの教室の先生は、ピアノとヴァイオリン、それと弦楽アンサンブルを指導されている。発表会には、先生の音楽仲間のチェリストやヴァイオリニストも加わり、さまざまな形態での演奏が行われた。

生徒は中高年が中心だが、小学生と高校生が一人ずつ。高1のMちゃん(写真左から二人目)が、この教室のスーパーアイドルで、ヴァイオリン、ピアノに加え、テナーサックスを見事に演奏する。アンサンブルでは、コンミスをつとめ、おじさん、おばさんのテンポが狂いそうになるのを、体全体で合図して、連れ戻してくれる。今回、サックスでは枯葉とレットイットビーを演奏してくれた。その録音は、私のオーディオで愛聴音源になった。

私の出番の最初は、教室の弦楽アンサンブルでの「水上の音楽」、「フーガの技法」。こちらは、ゲストさんも加わって、Mちゃんをリーダーに総勢12名での演奏。エキストラのベテランが加わっているものの、音が聞こえにくかったりして、なかなか、全体を合わせるのは難しい。コンミスの重要性がよくわかる。私は、リハーサルでは、後ろで弾いているゲストチェリストさんの音に合わせると安心だったのだが、本番では、なぜかその音が聞こえ難く、冷や汗かきながら、Mちゃんの動きを見て演奏した。

もう一つの出番は、今年の初めから自主的に集まって練習してきた5名のアンサンブルグループでの「人生のメリーゴーランド」と「島唄」の演奏。メンバーはみんな弦楽器初心者で、初めのころはとても音楽にならなかったが、何とか形にすることができた。チェロは、音程もリズムもまだまだで、このグループはチェロ一人なので、足を引っ張ったと反省。私以外のメンバーは、この教室で、ヴァイオリンとピアノを習っているので、それらの発表もあり、練習大変だったと思う。私はアンサンブルだけなのに、下手くそで申し訳なかった。

今回、ゲストのヴェテランチェリストさん二人と一緒に弾かせてもらえて、随分勉強になった。ビデオで見ると、ゲストの方の弓の速度、私の倍ほど早い、その分、弓を引く幅も広い。ヴィブラートの動きもとても大きくゆったり動いている。こういう仲間といつも一緒に演奏できたら、進歩も早いのだろうなと思う。

今年の4月に、チェロ教室の発表会でデビューしたときは、自分の演奏するだけで精一杯で、それで満足だった。今回は、音楽仲間も増え、さらに楽しい音楽会だった。

「問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論 」 エマニュエル・トッド (著), 堀茂樹 (翻訳)2016年11月27日




☆☆☆☆☆

英国のEU離脱、トランプ氏の大統領選勝利と、予想を覆す出来事が続き、何か潮流が変わっているとは感じていたが、不可解で、気持ちが悪い状態が続いていた。そんなときに、この本を読んで、視界が良好になった。

著者のトッド氏は、フランスの人類学者(?)。人類学という視点から、世界の国々の文化、思想、政治、経済を分析し、その多様性への地理的影響を明らかにしてきた。国際的な現代の問題に関して多くの本を上梓し、その中に記された数々の予言、「ソ連崩壊」「リーマン・ショック」「アラブの春」「EU離脱」が、現実になったとして、話題になっている。

この本が出版されたのは、2016年9月であるが、トランプ氏が大統領選で支持される理由を明確に説明している。

すなわち、ナショナルの方向への揺れ戻しの動きであり、それは、アングロサクソンの二つの大きな社会が、歯止めなき個人主義をプロモーションした果てに、ネオリベラリズム的であることに自ら耐えられなくなっているからだ、と論じる。二つの大きな社会とは、もちろん、英国と米国である。そして、この流れは、この二国にとどまらず、グローバリゼーションに抗して、自らを再建する、分散・不一致という現象として、多くの先進国に見られる。

グローバリゼーションを推し進めるエリート層は、理想を追い求め、そのしわ寄せが一般大衆にのしかかる。そういう構図からトランプ大統領が生れたと言えるだろう。

この本を読むと、そういう時代の流れが決して悪いものではなく、人類文化の持つ、自己治癒力的な側面の現れだろうというように思え、楽観的なビジョンを持つことができる。著者は、もともと、家族人類学という聞きなれない切り口を使う研究家で、それぞれの民族の家族システムの在り方と、その民族の文化、思想との関係を研究している。そういう意味で、社会現象は、ドラマではなく、科学的現象として分析される。その分析が予測している次なる状況は、今後20年のEUの崩壊、イランの国家としての安定、ドイツの難民政策の破綻、悲観的シナリオしか考えられない中国、などである。

示唆に富む本である。敢えて強く印象に残る一文をピックアップしておく。 「責任感のない世界のエリートたちは、国境の開放をヒステリックに実行している。そして、宗教的危機によって精神的空白が生まれ、従来の宗教に代わる価値としてお金や株価を追いかける空虚な文化がはびこる」

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