「言語起源論――旋律と音楽的模倣について」 ルソー (著), 増田 真 (翻訳)2016年10月01日



☆☆☆★
ジャン=ジャック・ルソーの「言語起源論」が、岩波文庫から新訳で登場した。私がこの本に興味を持ったのは、その半分が音楽起源論だから。この思想家は、人間の言葉の起源は、精神的な欲求、情念であり、飢えや、乾き、恐れ、などの本能的なものではないと考える。本来、生きるために他を遠ざけるのが獣であり、人間はその情念から社会を形成したように、言葉も情念から生まれた。ルソーのこの思想に、岡潔との繋がりを感じるのは私だけだろうか。

ルソーの思想に戻る。人はまず考えたのではなく、感じたので、最初の言葉は、詩人の言語だった。そして、その原始の言語には、音楽の起源ともいうべき抑揚があった。ルソーの考える音楽の要は旋律である。絵画に例えると、旋律が線や像を描くのであり、和音や音は色にすぎない。音色やハーモニーの美しさは、色の美しさと同様、自然のものであり、その効果は、物理的・身体的なものである。音楽を芸術にするのは、旋律である。旋律により音楽家は、見えないもの、聞くことができないものを、表現することができる。音楽は静寂さえ表現できる。

こういうルソーの論説の矛先には、当時、フランスの代表的音楽家であったジャン=フィリップ・ラモーがいた。ラモーは、和声楽の礎を築いた音楽理論家であり、和声を重視する彼の音楽、そして当時のフランス音楽全体がルソーには気に入らなかった。

本書の中でも、自国、フランスの音楽家に対する悪態がすごい。いわく、「和声だけを音楽の偉大な効果の源泉と見なすような音楽家がいたらわれわれは何と言うだろうか。われわれは、(途中略)フランスオペラを作らせるだろう」、さらに、タランチュラの刺し傷を音楽が直す話では、「ベルニエのカンタータは、フランス人の音楽家の熱を治したと言われるが、ほかの国の音楽家ならどんな国の人でも熱をだしただろう。」(ベルニエはフランスの作曲家)

とはいえ、ラモーの音楽は、ロマン派以降の音楽家に高く評価され、現代でも演奏されている。どんな音楽なのか、ラモーの曲を一つリンクしておく。ルソーは酷評したが、なかなかいい。



このブログを書くために少しルソーのことを調べて初めて知ったのだが、実はルソー自身も作曲をしている。youtube にあるルソーの作品の一つをリンクしておく。この曲、日本人なら聞き覚えがあるはずだ。



そう、童謡「むすんでひらいて」の元歌なのだ。

指揮者のいないオーケストラ2016年10月06日

かつてロシア革命後のソビエトで、Persimfans(ペルシムファンス)という指揮者のいないオーケストラが、1922年から1932年まで活動していた。名前の Persimifans は、 Pervïy Simfonicheskiy Ansambl' bez Dirizhyora (First Conductorless Symphony Ensemble、指揮者のいない最初のオーケストラ)の略である。

なぜ、指揮者がいなかったのか。当時のロシアは経済危機で、まともな指揮者は国内に残っていなかったのに加え、すべて平等を是とするマルクス主義で音楽も支配者から解放することを目指したためらしい。このオーケストラ、メンバー全員が曲を熟知することが必要で、綿密な打ち合わせと大変厳しいリハーサルを行って、演奏に臨んだ。特徴的なのは、メンバーが相互に意思疎通できるように、全員が真ん中を向いて座る楽器の配置。結果的に、このスタイルは当時、世界的に人気になり、パリ、ベルリン、ニューヨークでも真似する楽団があったという。

昨日、Slipped Disc で発表された記事 によると、ピアニストのPeter Aydou さんの呼びかけで、モスクワの112人の音楽家があつまり、Persimifans が復活したらしい。今週、開催される最初のコンサートに向けたリハーサルの録画がアップされている。



この短いビデオを見ても、演奏の大変さがわかる。一つの曲を仕上げるのに、指揮者が使うのと同等のエネルギーを112人全員が使う必要があるのだろう。トータルで112倍のエネルギーを詰め込んだ演奏、聞いてみたくなる。

参考にしたサイト: History of the Greatest Conductorless Orchestra

豊中市立文化芸術センターこけら落とし記念演奏会2016年10月11日

日本センチュリー×飯森範親&神尾真由子

できたての豊中市立文化芸術センターで行われた、初めてのオーケストラの演奏会を聴いた。飯森さんが舞台から挨拶をされて、「これから楽器の配置を変更したり、時間をかけてこのホールの音を作っていきます」というようなことをおっしゃっていたが、確かに、この日のホールの音は、長所と短所が混在して、未完成の荒々しさを感じた。特に、低音がものすごく強調される。たぶん、飯森さんもゲネプロで音作りに苦戦されたのかと想像する。写真を見るとわかるように、楽団の配置がステージの左に大きくよっている。これも、工夫した結果かもしれない。

演奏の最初は、祝賀ムードを盛り上げる祝典序曲。これは、華々しく響いたが、響きが固い。たぶん、オーディオと同じで、ホールもエージングにより、音が落ち着いていくのかもしれない。

次に、豊中出身の神尾さんを迎えて、チャイコフスキーのコンチェルト。神尾さんは骨太の音を出せる日本人では稀有のヴァイオリニストだと思うのだが、どうもこの日は(聴いていた席が2階席だったことも関係しているかもしれないが)、あまり音が響かない。オケもソロに遠慮しているような感じがして、残念だった。コンチェルトを生で聴くと、こういうことが時折ある。神尾さんがアンコールに弾いた、『シューベルトの《魔王》による大奇想曲』も、上手いのだが、音が響かず、私はあまり楽しめなかった。

この日、一番よかったのは、「新世界より」。こちらは、ホールの響きと音楽の曲想がとてもマッチして、とくに、管楽器のやらなかな響きを楽しめた。

音作りはこれからと言えど、このような素晴らしい音楽専用ホールがある町が羨ましい。私が暮らす堺市は、政令指定都市なのだが。。。

2016年10月10日(月祝)  開演18:00
豊中市立文化芸術センター大ホール

ショスタコーヴィチ:祝典序曲 イ長調 作品96
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 二長調 作品35
 (アンコール エルンスト『シューベルトの《魔王》による大奇想曲』)
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界より」
 (アンコール スラブ舞曲?)

辻本 玲 チェロ・リサイタル2016年10月14日

楽しみにしていた辻本さんのリサイタルを聴いて来た。



彼の演奏には、派手さや、脚色は無く、素直な音楽の解釈と、ストラディバリウスが奏でる綺麗な音色が、本当に心地よい。子供時代の彼をよく知る方から、素直な性格の子で音楽にも素直さが表れていたと伺ったが、今でもまったく変わっていないようだ。

音楽だけでなく、彼のトークが面白い。これだけ笑わせてくれる演奏家も珍しいと思う。トークのなかで、ピアノの永野光太郎さんが、チェンバロを自分で作っているという紹介があった。これもまた驚き。 チェンバロの弦を弾くピックは、鳥の羽の軸を削って作るのだが、その素材は鳥を驚かして羽ばたいた鳥から落ちた羽を集めるそうだ。何処まで本当の話かわからないが、驚いた鳥の真似をする辻本さんが可笑しかった。 写真のチェンバロが永野さんの作品である。

永野光太郎さん製作


辻本さん、今年は躍進が目覚ましい。これからも楽しみである。

2016年10月13日((木)
ザ・フェニックスホール
出演
辻本玲(チェロ)
永野光太郎(ピアノ)
曲目
ベートーヴェン:チェロソナタ第1番ヘ長調op.5-1
ショパン:ノクターン第20番嬰ハ短調 遺作
リスト:愛の夢 第3番 変イ長調S541
ラフマニノフ:チェロソナタ ト短調op.19
アンコール
フォーレ:夢のあとに
ピアソラ:オブリビオン

チェロレッスン52回目2016年10月15日

今回は、3年目の最初のレッスンになる。

Werner のpart 1 は、No.20でやはり苦戦。次回、ビブラートを効かせてもう一度。残り3ページがなかなか手ごわい。

練習中のStudent Concerto の1楽章、強弱の表現が不足とのご指摘。フォルテのところ、4分音符を全弓を使って弾くこと。きつい音が出るので開放弦を避けて弾いていたのだが、弾き始めに力を入れなければ、開放弦も良い響きが出るので、特にフォルテのところでは、開放弦も選択肢になるそうだ。開放弦をうまく使えるように研究して、比較してくるという宿題をもらう。次回は第2楽章までさらうということで、第2楽章のお手本を見せていただく。こちらはわりと簡単そう(先生が弾いているからそう聞こえるだけかも)。

レッスン後、3年目に使う教材についての説明を受ける。Werner の part 2 をしながら、
 S. Lee, 40 melodiques Etudes, op. 31
 A. Vivaldi, 6 Sonatas
を練習するそうだ。これで、2年はかかるらしい。

シラバスに不満はないのだが、無伴奏はいつ弾かせていただけるのだろう。やりたいと伝えたほうがいいだろうか。

松脂の再生2016年10月16日

バイオリン、チェロ、はては二胡まで、擦弦楽器を弾く人が、すべからくお世話になるのが、松脂。これが、良く割れる。落として割れたり、薄くなってくると弓にこすり付ける時の力で割れる。結構、高いので、割れたからといって捨てるのは、もったいない。他の人はどうしているのか知らないが、私は、湯煎で溶かして、固めて再利用している。下の写真のように、丸い容器にラップをしいて、そこに、割れた松脂を入れる。鍋に水を沸かし、そこに松脂を入れた容器を置いて、温める。暫くすると、溶けるので、湯から出して冷えて固まるのを待つ。



なんということか、出来上がりの写真を撮ろうとして、床に落としてしまった。折角、再生したのに、悲しい。大きな塊だけ、使うことにする。



「オーケストラの職人たち」 岩城 宏之著2016年10月17日



☆☆☆☆★

あまり期待せずに読んだのだが、とても面白かった。本書は、今は亡き指揮者の岩城さんが、オーケストラを支える様々な仕事を紹介するエッセイを「週刊金曜日」誌へ3年間にわたり連載したものをまとめたものだ。取り上げている仕事は、楽器運送業、楽団の遠征に同行する医者、写譜屋、チラシ配り屋、調律師、などだが、単に知っていることを書いているのではなく、毎回、綿密な調査を行って、インタビューしたり、実際にその仕事を体験したりして、記事を書いている。有名人が片手間に書いた雑記を想像していたが、かなりの労作である。きっと、著者は何事でもこういう姿勢で仕事をする人だったのであろう。

内容は、雑学であるが、それぞれに鋭い考察があり、単なる雑学を超えて、音楽や文化について、考えさせられること、感銘を受けることが多々ある。

先日、 ルソーが作曲家でもあり、童謡「むすんでひらいて」が彼のオペラの間奏曲から題材を得ているという記事 を書いたが、写譜屋の章で、実はルソーは写譜屋の元祖のような人だったことが紹介されている。生涯で、一万枚以上の写譜を行い、その仕事に情熱をもっていたらしい。今でこそ、パソコンを使えばだれでも綺麗な楽譜が書けるが、かつては、写譜する人のセンスや正確さが楽譜の読みやすさを決めたので、きわめて重要な仕事であったのだろう。

岩城さんの音楽に対する姿勢がよくわかるのが、「週刊金曜日」への一読者からの、「日本人がビートルズとまったく同じ格好、同じ歌い方で演奏したらただの物まねにしかならないでしょう? (中略) 一言で言ってクラシック音楽とは日本人が日本人であることを否定しなければならないのか?」という投書に対して、真剣に悩んで、答えを考える章である。 そんなつまらんこと聞くなという態度ではなく、相手と同じ土俵にたち、正面から受け止めようとする姿勢が立派である。楽器運送だって、商売でやってるんだからと片づけずに、その苦労や仕事の意義を、現場をみることで解釈しようとする。この姿勢が貫かれてるため、読んでいて、楽しくて、嘘くさくない文章になっている。

気楽に読めるが、特に音楽愛好家にはお勧めできる本である。

「ウッツ男爵: ある蒐集家の物語」 ブルース チャトウィン (著)、池内 紀 (翻訳)2016年10月21日



☆☆☆☆

「プラハの春」の前後の時代、プラハに住んで、マイセン磁器を蒐集し、そのコレクションを時代の波から守り抜いた男の話し。 著者のブルース チャトウィックは、Wikipedia によると、「シェフィールド生まれ。サザビーズに勤めたのち、エジンバラ大学で考古学を学び、新聞社の特派員をへて作家活動に入る。」という経歴の人なので、マイセン磁器の蒐集家という題材はお手のものだったのだろう。

一度目に読んだときには、後半で話の展開が速くなり、ついていけなかった。落ち着いて、読み返してみると、なかなか、味のある小説である。 蒐集家という、根暗、オタクタイプの主人公ウッツ。かなりの遺産を相続し、男爵の称号を持ちながら、その生活は、いたって寂しく、マイセン磁器だけが人生の喜びだった。 子供のころにマイセン磁器の魅力に取りつかれ、かなりの遺産を相続し、男爵の称号を持ちながら、その生活はいたって寂しく、一生をマイセン磁器の蒐集と、時代の波の中で、そのコレクションを守ることがレゾンデートルだった。その動機は文化財を保護するというような高尚なものではなく、マイセン磁器を所有することに対する、極めて個人的、欲望である。

この小説は、ウッツと関係する数少ない人たちを、鋭い観察力で描いた作品。ユーモアと皮肉がちりばめられて、人間中心で物語を進めるスタイルは、小説の中でも引用されているチェーホフを彷彿とさせる。 例えば、保養地にて、豪華な食事を楽しもうとするシーンの描写、 「対岸の草の上で昼食をとっている一家がうらやましかった。幼い子が水ぎわに下りていった。若い母親があわててあとを追いかける。あの人々にまじって、自家製の素朴なパイを食べたいもの。どんなにかおいしいことだろう。(中略)とどのつまり、ウッツは一つの陰鬱な結論に達した。ゼイタクというものは、まわりの条件が劣悪であるときにのみ、たのしめる。」言い得て然りである。

小説の骨格は、マイセン磁器のコレクションにまつわる話と、ウッツに長年お手伝いとして仕えていた孤児のマリアが、ウッツの妻になり、ウッツの暮らしの中で存在感を高めていく様子である。それ以外に、ウッツの話を通して、マイセン磁器が錬金術師が製法を確立した過程など、歴史の中でのマイセン磁器をめぐる逸話が語られ、衒学的な逸話が幾つも語られ、知的好奇心が刺激される。

マイセン幻影という題名で、映画化もされているので、何時か機会があれば見てみたい。

映画 「オーケストラの少女」2016年10月21日

☆☆☆☆☆

指揮者の藤岡幸夫さんが、ブログで紹介されていたので見たくなって、購入。

ストーリーは単純で、失業中の音楽家の娘パッツィーが、奮闘して、父とその仲間のオケを世に送り出すという、娯楽ものである。主役のパッツィーを演じるディアナ・ダービンの可憐さと、実名で登場する、巨匠、レオポルド・ストコフスキーの指揮のカッコよさで、とても楽しい映画になっている。

この映画を見て、指揮者や演奏家を目指した音楽家が沢山いるらしいが、確かに、音楽家を魅力的に描いた作品である。

登場するオーケストラは、当時、ストコフスキーが常任指揮者を務めていたフィラデルフィア管弦楽団。オケのリハーサルに忍び込んだパッツィーが、オケの演奏に合わせてハレルヤを歌うシーン。歌声も綺麗で、感動ものだ。

チェロはいいよ! Kindle版 はかせ (著)2016年10月25日



☆☆☆★

アマチュアチェリストによるチェロの入門書。Kindle Direct Publishing という、個人が直接、アマゾン上で電子書籍を販売できるシステムを使って出版されている。

著者のはかせさん、解剖学者ということで、チェロの演奏方法を大変理論的に解説してくれているのがうれしい。ポジション移動やボーイングなど、子供から習っている人や、音楽的センスに恵まれた人は、感覚で覚えるのだろうが、どちらでもない私のようなレートスターターかつ理系人間には、理屈で攻めるしかないし、それが唯一、子供より優れている能力なのだと思う。そういう側面からの理解を強調して解説してくれている本はあまりないので、参考になる。

また、この著者が面白いのは、チェロを自作されていることで、作ったチェロが演奏の年月とともに、音が成長していく記録など、大変、興味深く読むことができた。

文章は、独断的で、自慢が多いように感じられる。あまり広い範囲の読者に受け入れられるような本ではないが、よく言えば、読者に媚びていない本で、Direct Publishing ならではの本だと思う。下の動画が、自作チェロでの著者の演奏である。



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