『遠い水平線」 アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳2016年08月05日



また、タブッキを読む。

死体置き場の管理人である主人公スピーノ。ある日、事件で亡くなった身元不明の一人の若者の遺体が運び込まれる。なぜか、彼の出自に興味を抱くスピーノ。彼は何者で、何故、死んだのか。

「ものにはそれ自体の秩序があって、偶然に起こることなど、なにもない。では、偶然とは、いったいなにか。ほかでもない、それは、存在するものたちを、目に見えないところで繋げている真の関係を、われわれが、見つけ得ないでいることなのだ」と考えるスピーノは、死体に残された僅かな手がかりをもとに、探索を進める。

手がかりは、指輪の裏に彫られた「Piero, 1939, 4. 12.」の文字。上着の裏に縫い付けられていた仕立て屋の名前、ポケットに入っていた一枚の家族写真。

これだけの手がかりをもとに、あちこちに旅をして人に会い、新たな手がかりを得て、また出かける。少しずつ情報が増え、スピーノの霊感もひらめき、死者の生涯、死者とスピーノとの関係がスピーノの頭の中で明らかになる。

タブッキの真骨頂なのだが、スピーノの頭のなかにどのような姿が蘇ったのか本を読んでも、エクスプリシットには書かれていない。読者は、スピーノが得た情報(あるいはその断片)を与えられて、それを自分で、繋ぎ合わせるしかない。想像力を試される小説なのだ。既成概念の小説の枠でこの本を読む人には、こんなつまらない本はないだろう。

日本センチュリー交響楽団 ハイドンマラソン2016年08月13日

小山さんのコンサート直後のツィッターより。
いずみホールで、日本センチュリー交響楽団のいずみ定期演奏会 No.32 ハイドンマラソンを聴いて来た。

ハイドンマラソンは、飯森さんと日本センチュリーが、104曲もあるハイドンの交響曲を8年がかりで全曲演奏するというもの。今回で、15曲を終えたことになるそうだ。先は長い。

交響曲の父、ハイドンの交響曲は、形式を守った中で、どれだけの表現ができるのか、精密な構成で、限界に迫る。飯森さんと日本センチュリーの演奏は、本当に楽しそうで、颯爽としたハイドンを聞かせてくれる。曲により編成もかなり絞って、室内楽のような雰囲気にもなる。奏者がお互いに息を合わせて、音楽を作る感じ。こんな演奏が出来たら、さぞ楽しかろう。

プログラムは、ハイドン3曲の間に、小山実稚恵さんのピアノで、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番。飯森さんのトークによると、ハイドンマラソンでは、ハイドンに加えて、ハイドンと親交のあった作曲家の曲も混ぜてプログラムを作るそうだ。小山さんのチャーミングなピアノで聴くモーツァルトに魅せられた。モーツァルトは聴いて圧倒される、ハイドンは聴いて演奏してみたくなる(できないけど)。

小山さんとセンチュリーのメンバーによる、センチュリー室内楽シリーズが12月に始まる。初回は、シューマンのピアノ五重奏曲が予定されていて、こちらも楽しみ。

写真は、小山さんのコンサート直後のツィッターより。
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日時
 2016年8月12日(金) 19:00開演
会場
 いずみホール
曲目
 ハイドン:交響曲 第9番 ハ長調 Hob.I:9
 モーツァルト:ピアノ協奏曲 第9番 変ホ長調 K. 271「ジェナミ」
 ハイドン:交響曲 第27番 ト長調 Hob.I:27
 ハイドン:交響曲 第70番 ニ長調 Hob.I:70
出演
 指揮:飯森 範親(日本センチュリー交響楽団首席指揮者)
 ピアノ:小山 実稚恵
 管弦楽:日本センチュリー交響楽団

「アマチュアオーケストラに乾杯!」 畑農敏哉著2016年08月16日



☆★
副題は、素顔の休日音楽家たち。

アマオケに憧れる私としては、その実態を少しでも知りたいと思い、興味深く読んだ。

著者の畑農さんの、本業はジャーナリスト。その傍ら、長くアマチュアオーケストラに参加し、遂には自分が発起人としてアマオケ「Project B オーケストラ」を立ち上げる。

本書では、日本のアマオケの事情を分析して、アマオケに興味はあるが、飛び込む勇気(というか、実力)のない、私のような読者に多くの情報を提供してくれる。

どんなタイプのオケがどのくらいの数あって、どのような問題を抱え、どんな曲を演奏しているのか。今の時代、ネットを使えば自分でも調べられることも多いのであるが、本としてまとめてもらうと便利ではある。

この本の内容には、ネットで調べるくらいでは、わからない情報ももちろん含まれている。楽器別に、奏者の特徴とか。 チェロの男性は、「お坊ちゃまタイプ」、とあっさり片づけられた。著者がコントラバス奏者なので、そちらについては随分詳しい。

アマオケでは慢性的に弦楽器奏者が不足しているらしいので、これは朗報(かな?)。コントラバス奏者は、あちこちの楽団のエキストラで週末は大忙しという、ドキュメンタリー記録も含まれている。

いつかアマオケに入りたいと考えている人には、多少の参考にはなる本かな。

「マエストロ、それはムリですよ・・・」 松井 信幸 (著), 飯森 範親 (監修)2016年08月17日



☆☆★
飯森さん、コンサートの時のトークやツイッターが面白くて、気になっていた。

この本は、飯森さんが山形交響楽団の常任になってから、オケがどのように変わったか、ライターの松井さんが、関係者に取材してまとめたもの。

山形交響楽団(略して山響)は、定期演奏会に加えて、地元での音楽教育での活動を行い、オケとしてはとくに特徴もないが、運営が破綻することもなく、細々と活動を続けていた。2004年からの常任指揮者に飯森さんが就任すると、ドラッガーのマネジメントを実践するかのような変革を次々と行い、楽団員も活性化され、地方都市のオケが、日本全国の音楽ファンから一目置かれる存在に変わっていく。

山響の事務局長が、それまで数回客演に来ていた飯森さんに常任を依頼しに行った時のエピソードが面白い。当時から売れっ子で超多忙だった飯森さんに、引き受けてもらえるはずがないと思いながら、話を切り出すと、「やりましょう」と即答。驚く事務局長に、「何か問題がありますか?」と飯森さんが聞くと、「引き受けてもらえると思っていなかったので」と事務局長。これに飯森さんが怒る。「そんな、卑屈な姿勢だから山響はダメなんです」と。

音楽の中身以外において、飯森さんがどんな人か良くわかる本である。ツイッターに色々発信するのも、ファンへの情報発信、サービスの一環であろう。一度、山形に山響を聴きに行きたくなった。

飯森さんのインタビュー記事も入っている。高校時代に普通高校に通いながら、小澤征爾先生のいる桐朋学園を目指して受験勉強をした時代の話しが凄い。高校から4時半に帰宅して、夜10時過ぎまでピアノの練習、晩御飯を食べてから、和声学の勉強が11時から1時まで。指揮法の勉強が2時過ぎまで。朝は6時に起きてピアノでソルフェージュ、それからスコアリーディング。そんな暮らしを3年間続け、見事、桐朋学園指揮科に現役合格。外部の高校から指揮科に合格した人は、飯森さんしかいないらしい。大学時代も、随分ストイックに音楽を勉強されていて、遊んだ記憶がないそうだ。

音楽は才能で決まると思うのだが、才能ある人も、これだけ努力しているのですね。

京都市交響楽団 第604回定期演奏会 8月19日2016年08月22日

京都市交響楽団を初めて聴く。曲も初めて聴くものばかり。

一つ目は、三善晃作曲のピアノ協奏曲、なかなか、神秘的、宇宙的で、美しい。もっと演奏されてもいい曲だと思う。15分程度の曲だが、演奏はとても難しそう。

二つ目は、ショスタコーヴィチの4番。100人を超える大編成のオケで演奏される。音楽は、シリアスになったり、ユーモラスになったり、さまざまな要素が集められているのだが、その真ん中にはショスタコーヴィチらしさの幹が貫かれている。この日のオケはすごく集中して、緊迫感のある演奏、迫力満点であった。微妙な曲想の表現は、部分部分ではいいのだが、曲全体の統一感がもう少し出てほしかった。

演奏の終わり、指揮の沼尻さんが脱力するまで、30秒以上、場内が息を止めて静寂が流れた。ネゼ=セガンの指揮で聴いたベルリンフィルのバビ・ヤールの最後を思い出す。日本の観衆のレベルも上がったようだ。

日時:2016年8月19日(金)7:00pm 開演
会場名:京都コンサートホール・大ホール
出演者:沼尻 竜典(指揮)
石井 楓子(ピアノ)
曲目:
三善晃:ピアノ協奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調op.43

音楽と音楽家 シューマン (著)、吉田 秀和 (翻訳)2016年08月25日



☆☆☆☆☆
本書は、シューマンが1833年から1850年頃の間に書いた音楽評論を集めたものである。

この時代、1828年にシューベルトが若くして亡くなった直後であり、中期ロマン派の巨匠、ショパン、リスト、ベルリオーズ、メンデルスゾーン、などが活躍していた。後世に、掛け替えのない音楽的遺産として残されることになる数々の名作が、次々と生まれた時代、まさにその時代を生きたシューマンにより書かれた評論であり、当時の音楽界の雰囲気がひしひしと感じられる。

ショパンを発見した時の驚きは、ペンネーム「オイゼビウス」という分身を使い、『「諸君、帽子をとりたまえ、天才だ」といって、オイゼビウスが楽譜を一つ見せた』、と表現されている。

ベルリオーズの幻想交響曲に対する評論は、とても専門的で難しい。こんな難しい話だと読む進むのは難しいと感じるかもしれないが、尻込みする必要はない。シューマンの真意は、「しかし僕としては狙いが三つあった。第一、この交響曲を全然知らない人たちに、音楽ではこうして分析して批評したところで、ほとんど何一つはっきりしてこないことを示し、次に、通り一遍にしか知らない癖に、勝手がわからないため放り捨ててしまった人たちに、若干の重点を暗示し、最後に知ってはいるが、この曲の真価を認めたがらない人たちに、この曲はみたところ形式がないように見えるけれども、更に大きな標準ではかってみると、敢えて内面的な繋りにまでは触れなくても、立派に均整のとれた秩序の内在していることを教えたいと思ったのである」。この章以降の評論には、音楽理論の難しい話はほとんどない。

ベートーヴェンの遺作、「銅貨を亡くした憤慨」の紹介も面白い。ベートーヴェンの手稿には、「銅貨を亡くした憤慨の腹癒せに作ったカプリッチオ(狂想曲)」とあるふざけた曲なのだが、シューマンは言う、「芸術の蘇えりの日に、真理の守神が裁きの秤を手にとって、この銅貨狂想曲を片方の皿にのせ、近頃の悲愴な序曲を十も束にしてもう一方の皿にのせたら――序曲の方の皿は高々と天まではね上がるだろう。しかしいやしくも作曲家ならば、老若を問わず、このことから学ぶ必要があると思われることが一つある。それは一に自然、二に自然、三に自然!ということである」

シューベルトの墓参りの後、兄弟の家を訪ねて、ハ長調交響曲(いまでいうところの未完成)を発見するエピソード。超売れっ子だった、リストのコンサートにおける熱狂の様子と、リストの天才ぶり。

巨匠になる前のワーグナーのタンホイザーを聴いて、才能の片鱗を見出す様子。「確かに天才の筆の跡がある。もし彼に才気と同じくらい旋律があったら、今日を代表する人になっていよう」と。一方で、ワーグナがフィデリオを指揮した演奏には、「リヒャルト・ヴァグナーのまずい演奏。わけのわからないテンポの取り方」と、容赦ない。

そして、ブラームスの時代の到来を予測する。「今に時代の最高の表現を理想的に述べる使命をもった人(中略)が、忽然として、出現するだろう。また出現しなくてはならないはずだと。すると、果たして、彼はきた。嬰児の時から、優雅の女神と英雄に見守られてきた若者が。その名は、ヨハネス・ブラームスといって、(後略)」

評論で取り上げられる数々の作品を、現代の演奏家の録音で聴きながら、シューマンの評論を読む。この上なく、贅沢で楽しい時間が過ごせる。

評論のほかに、当時の演奏会の記録と短評もあり、これも面白いが、それにもまして、シューマンによる音楽の座右銘の章は、心に残る。ほんの少し抜粋すると:
・一番大切なことは、耳(聴音)をつくること、小さいときから、調性や音がわかるよう努力すること。
・ぽつんぽつんと気のないひき方をしないように。いつもいきいきとひき、曲を中途でやめないこと。
・やさしい曲を上手に、きれいに、ひくよう努力すること。
・楽器の助けをかりないで、譜面をみて歌えるようになること。
・大きくなったら、流行曲などひかないように。時間は貴重なものだ。今あるだけの良い曲を一通り知ろうと思っただけでも、百人分ぐらい生きなくてはならない。
・他の人々とあわせて二重奏や三重奏等をする機会があったら、決してのがさないように。人とあわせると、演奏が流暢に、達者になる。
・隠者のように、一日中とじこもって、機械的な勉強をしていてもだめだ。反対に活発な、多方面の音楽的な交際を結んだり、合唱やオーケストラにさかんに出入りしていると、音楽的になってくる。
等々

200年近くも前の、欧州の音楽文化に関する書物が、こんなに身近な感覚で読めるというのは、まことに不思議である。音楽の普遍性なのだと思う。

チェロレッスン49回目2016年08月29日

Werner の課題は6ポジが中心。6ポジばかりのエチュード No.18 は、エチュードといえど、美しい曲。ビブラートを効かせて綺麗に弾けるよう次回まで持越し。(ともやんさんの美しい演奏がyoutubeで聴ける )。いよいよ、Werner Part 1 の最後、7ポジの課題に入る。

前回、新しくもらった、 L. Mendelssohn の Student Concerto 、 弾くのが楽しい曲だ。第一楽章をみていただいた後で、指使いについて、質問をした。下の写真の2小節目のEは、G線で4ポジで取れるのに、何故、1ポジに飛ぶのか。4小節目のF#も同じ。近いとこで弾きたいのだが。これは、きっぱりと駄目ですとのお答え。理由は、この旋律はD線で弾いているので、音色を揃えることが重要。一音だけG線に移ると違和感が出ます。なるほど、敢えて遠いポジションを使うのはそれなりの理由があるのだ。



そんな質問をしたので、先生からはさらなるアドバイスをいただけた。下の楽譜の2小節目のD。G線の4ポジで弾いたのだが、D線の開放のほうが、D線で弾いている前の音との繋がりがいいかも。その時は、昔習ったように、A線でオクターブ上のDを抑えてビブラートかける。深いなあ。



今回、質問してみて、そのメリットがよくわかった。質問することで、より多くの指導がいただける。アクティブにレッスンを受けることが重要だ。
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