アマリアの別荘 パスカル・キニャール (著), 高橋啓 (翻訳)2017年08月15日

☆☆☆☆☆

久しぶりに、自分の好みのど真ん中を貫いてくれる、心底面白いと思える小説に出会った。読みだしたら止まらないけど、読み終えるのがもったいないという感じ。何が面白いか、説明するのは難しい。

作品は、交響曲のようは4部構成で、各部で舞台となる場所や、文章のスタイルが変わる。主人公の女性アンは現代音楽の作曲家。どんな曲を作曲するのかというと、古典音楽を聴いて、そのエッセンスを抽出して作曲するという風変わりな仕事をしている。作曲家としての仕事の描写は、音楽をよく知っている人しか書けないなと思わせるものがあった。調べてみると、キニャール氏の著書には、「音楽への憎しみ」、「音楽のレッスン」など、音楽をテーマにした作品が結構ある。

さて、この小説の内容であるが、アンはある日長年連れ添ってきたパートナー(結婚はしていない)の浮気を発見。そこからの彼女の心の動きの描写が上手いし、とても大胆でカッコいい復讐の行動は、ワクワクさせてくれる。あちこちで意外な展開をみせるプロットの面白さ、個性的で魅力に溢れる登場人物、に加え、小説のスパイスとして欠かせない幻想性も適度に加えられている。

ここまで書いてみて、我ながら魅力の伝わらない感想文だと思う。でも、こんな小説があれば、生きているのも悪くないと思うことができる小説である。

叡智の断片 池澤 夏樹 (著)2017年08月15日

叡智の断片 (集英社文庫) 文庫  池澤 夏樹 (著)

☆☆☆☆

毎回、テーマを決めて、テーマに関係する著名人の言葉を引用辞典から選択して、エッセイ風の読み物にするという趣向の本。テーマは、「リッチマン、プアマン」、「科学者を信用しよう」、「死について」、「悪口は楽しい」、「老人たちよ」、「自殺の誘惑」、「ナウ・ユー・ハズ・ジャズ」等々、硬軟合わせて50編位ある。

作者は、池澤夏樹さん。彼の小説も良いが、エッセイもなかな楽しい。さすが、福永武彦氏のご子息という感想は失礼だろうか。

池澤さんによると、欧米では著名人の言葉を引用するというのは、意見を示す一つの手法として広く使われているらしい。確かに、ツィッターを見ていても、欧米人の呟きには、引用が多い。日本人は他人と違う意見は極力言わない人種なので引用も流行らない、というのが池澤さんの分析。

引用をピックアップして並べるだけなら誰でもできるが、テーマについて、どんな引用を選んで、どのように論旨を展開するかが著書の叡智の見せどころである。引用には、英語原文も補足として付けられているのがうれしい。

私が気に入った引用を「音楽の捧げ物」の章からひとつ:
Music is essentially useless, as life is.
George Santayana 1863-1952

チェロレッスン 72回目2017年08月14日

前回、白旗を上げたWerner No.24 Cantilena 、今回は、自分ではかなり弾けるようになったと思ってレッスンに臨んだ。一通り止められずに聴いていただけたのは、かなりの進歩。その後、フィンガリングの修正と、アクセントがおかしいところを指摘され、もう一度次回に見ましょうとのこと。少し弾けるようになると、要求されるレベルも上がるのがうれしい。

サムポジションは、親指の横っ腹にタコが出来つつある。これも面白い。

ヴィヴァルディは、2楽章と3楽章を先生と合奏していただく。4楽章も譜読みが出来たので、初めて聴いていただけた。それにしても、時間がかかる。無伴奏に取り掛かれるのはいつのことやら。

日本センチュリー交響楽団 いずみ定期演奏会 No.362017年08月13日

センチュリーのいずみ定期演奏会は、ハイドンマラソンの10回目らしい。

このシリーズ、毎回、新しいハイドンの一面を見つけられて楽しい。60番の「うっかり者」では、最終楽章で調弦の間違いを指摘されたヴァイオリンが一斉にチューニングを始めるという、悪戯好きハイドンの真骨頂の演出が観られる。

54番は、松浦奈々さん、丸山奏さん、など各パートトップのソロがふんだんに聴けるのがうれしい。

今回、ハイドン以外でプログラムに組み込まれたのが、ディッタースドルフのコントラバス協奏曲 変ホ長調という、珍しい曲。ディッタースドルフは、ハイドンと同時代の音楽家で、当時はかなり有名だったらしい。コントラバス協奏曲も2曲残していて、2番のほうが有名なのだが、今回、演奏されたのは1番。コントラバス首席の村田 和幸さんのソロの演奏が素晴らしい。コントラバスのソロって聞く機会はあまりないので、こんなに魅力的だとは、今まで気づかなったな。

ハイドン
交響曲 第60番 ハ長調 Hob.Ⅰ:60 「うっかり者」
ディッタースドルフ
コントラバス協奏曲 第1番 変ホ長調
ハイドン
交響曲 第54番 ト長調 Hob.Ⅰ:54
ハイドン
交響曲 第78番 ハ短調 Hob.Ⅰ:78

ジーヴズの事件簿―才智縦横の巻 P.G. ウッドハウス2017年07月31日

☆☆☆☆★

20世紀初頭の英国の作家P.G. Wodehouse の短編小説ジーヴズシリーズの名作選。ロンドンを舞台に、天然ボケの不労所得階級の青年バーティの身の回りに持ち上がる様々な問題を、彼の執事ジーヴズが見事に解決していくユーモア小説。ジーヴズがバーティに仕えているようで、実は、意のままに操っているのが面白い。気楽に楽しめる短編で、何十冊もある宝の山の入り口を見つけたという感じ。

何でも知っているジーヴズはイギリスはもとより全世界で人気のキャラクターで、今でも人気があるようだ。

ask.com という今はマイナーな検索サイトがあるが、以前は、Ask Jeeves という名前の英国の会社だったらしい。買収されて名前が変わった。

ところで、イギリスの執事というと、カズオ・イシグロの「日の名残り」の主人公スティーブンスが真っ先に頭に浮かぶ。こちらは、滅私奉公を続けてきたスティーブンスが、休暇をもらい旅行をしながら人生を振り返る物語。

同じ執事というものの、ジーブズ君とはずいぶん違う。調べてみると、スティーブンスはbutler であり、雇用者の家に仕える。いわば、貴族の館のマネジャーである。一方、ジーブズ君は、雇用者個人に仕える valet 従僕である。やはり、butler のほうが格が上なのだろう、パーティはジーブズを「必要とあればとても有能な執事になれる」と評しているようだ。

浅学な私は、いままでジーブズもウッドハウスも知らなかったのだが、読んで見ようと思ったきっかけは、チェリストのイッサーリス氏がツイッターで、時々、PG Wodehouse の小説からの引用を投稿するのを読んで、興味をもったことである。彼の引用は、どこが引用するほど面白いのか、今一つわからなくて、それが却って興味を引いた。日本人が面白いと思う感覚を外国人に伝えるのが難しいのと同じことなのだろう。

イッサーリス氏のツイッターでは、例えば、こんな引用がされていた。()内は拙訳。

'I spent the afternoon musing on Life. If you come to think of it, what a queer thing Life is! So unlike anything else, don't you know.'
PGW
(午後を人生について思いを巡らして過ごした。考えてみると、人生ってなんて変なものなんだろう! 他の何とも似ていない。そう思わない?)

“She uttered a sound rather like an elephant taking its foot out of a mud hole in a Burmese teak forest.”
― P.G. Wodehouse
(彼女は、像がビルマのチークの森の泥の穴から足を引き抜いた時のような音を発した。)

He looked like something stuffed by a taxidermist who had learned his job from a correspondence course & had only got as far as lesson 3
PGW
(彼は、通信教育で第3教程まで剥製作りを習った剥製師が詰め物をした剥製のようにみえた。)

“It was one of those still evenings you get in the summer, when you can hear a snail clear its throat a mile away.”
― P.G. Wodehouse
(それは、カタツムリが一マイル先で咳ばらいするのが聞こえるほど静かな、あの夏の夜の一晩であった。)

チェロレッスン 71回目2017年07月16日

今日のレッスン、これまでになく練習がほとんどできていない状態で行くはめに。というのは、昨日が引っ越しだったので、この10日間ほどその準備で多忙を極めた。

先生にお会いするなり、練習できていませんと、挨拶代わりの言い訳をする。そんな生徒は見慣れているのであろう。涼しい顔でレッスンに突入。私のほうは、簡単なところでできるだけ時間を使ってレッスンを切り抜けようと画策。Werner No.24 Cantilena では、譜をみてもメロディ(音程)が解らない、どうしたらいいのでしょうか、と質問というか愚痴を言ってみる。先生、親身に考えてくれて、「ピアノで確認したり、オクターブ下で弾いてみたり、あるいは確実に取れるポジションで鳴らしてみて、2小節くらいずつ覚えてください」 私、「はい、でも、次の日になると忘れているんですよ」 困ったものだ。

Feuillard も丁寧に弾いて時間を使う。ここで、ついに親指ポジションが出てきた。押さえ方を教わり試してみる。D線を押さえると、A線のところが痛い。痛みが我慢できるようになるまで練習して来てくださいって。チェロってサディスティックなんだ。

日本センチュリー交響楽団 第218回 定期演奏会2017年07月10日

月7日のセンチュリー交響楽団第218回定期演奏会。今回は、指揮者もチェロ奏者も初めて。指揮のコヴァーチュさんは、東京フィルの名誉指揮者も務めるハンガリーの巨匠らしい。

最初のリストの交響詩、オケを歌わせる指揮者のコヴァーチュさんの体の使い方が素晴らしい。背が高いからか、指揮台を使わない。広い床を使った脚の動きが、こんなに表現豊かな指揮者も初めてみた。タップを鳴らしそうな脚の動き。それに応えるセンチュリーも素晴らしい。豊かな表現力の交響詩を聴くことができた。

2曲目は、チェロのマインツさんのソロで、シューマンのチェロ協奏曲。いきなり、マインツさんのチェロの音色の優しさ、美しさにびっくり。何とも甘い音色で、私のイメージのシューマン、チェロ協奏曲とは違う。私の中では、デュ・プレが弾いているように、恐ろしげな、音楽なのだが。あまりに音楽が優しいので、不覚にもしばらく意識を失ってしまった。目が覚めるともうフィナーレ。北口さんとの掛け合いを楽しみにしていたのに、聞き逃した。

今年はコダーイの没後50周年ということで、後半は、コダーイの曲が続く。ハンガリーの伝統音楽からテーマを取ったという「飛べよ孔雀」による変奏曲と、ガランタ舞曲。さすがにハンガリーの巨匠コヴァーチュさんの指揮、美しく、雰囲気のある演奏だった。

今日は、松浦 奈々さんはお休みで、コンマスは首席客演の荒井 英治さんでした。荒井さんといい、チェロの北口大輔さん、ヴィオラの丸山奏さん、とセンチュリーの首席は素晴らしい人材が揃っている。

2017年7月7日(金) 19:00開演
ザ・シンフォニーホール
指揮:ヤーノシュ・コヴァーチュ
チェロ:イェンス=ペーター・マインツ
プログラム:
 リスト:交響詩「前奏曲」 S.97
 シューマン:チェロ協奏曲 イ短調 作品129
 コダーイ:ハンガリー民謡「飛べよ孔雀」による変奏曲
 コダーイ:ガランタ舞曲

チェロレッスン 70回目2017年07月04日

レッスンも70回目で、先生の前で弾くのにも慣れてきたはずなのだが、Werner のp89 の最後のエチュード(装飾音の練習)で、ゲシュタルト崩壊を起こしてしまった。練習では、難なく弾けていたのに、2段目の途中から突然、楽譜が読めなくなり、メロディも思い出せない。先生のお手本を聴いているうちに、元に戻ったのだが、困ったものだ。

気を取り直して、Lee のNo.6、Feuillardの39,40 は合格。

Vivaldi のsonata No.3 は、弾けるようになった第1楽章を先生とデュエットしていただく。相撲好きのロストロポーヴィチは、Largo は横綱の相撲のように弾きなさいって指導していたのだが、今の演奏は関脇くらいかな、とのご批評をいただいた。第2楽章以降は、次回に持ち越し。

この週末は、土曜日にアンサンブル仲間との練習、日曜日にチェロのレッスン、その後、別のアンサンブルの練習とチェロ三昧であった。

嬉しかったこと
「いつか王子様が」で、今のチェロとてものりやすかったって、Vlさんに言われた。
Stamitz の初見で弾いた曲、ハーモニーの美しさに痺れた。
Vivaldi のSinfonia で、いままで音程がとれなかったフレーズが辛うじてクリアできた。
Isserlis のツィートに返信したら返事が貰えた。

悲しかったこと
カノンのチェロが難しい編曲、Vlさんにチェロの速度が狂うところを正確に指摘された。
Stamitzの初見で弾いた曲、2楽章で変ホ長調になったとたん落ちまくった。
練習して行った Chim Chim Cher-ee、はやらず。

牧逸馬の世界怪奇実話 (光文社文庫)2017年07月02日

牧逸馬(まき いつま)は、長谷川 海太郎という、1920、30年代に大活躍した作家のペンネーム。この人、またの名を林不忘(はやし ふぼう)と言い、「丹下左膳」シリーズの著書。さらに旅行記を書くときは、谷譲次を名のった。

1900年に佐渡に生まれ、函館で育つ。学生時代から英語が堪能、文学青年でありながら、応援団長で喧嘩に明け暮れるという、破天荒な学生だった。1920年に日本を飛び出し、1924年まで米国を放浪。帰国して、流行作家になる。1928年から、1年3ヵ月の間、欧米を旅し、怪奇事件を扱った書物を買い占めて調査。その時の成果が、本書「世界怪奇実話」になった。

1935年に短い生涯を閉じるまでに、三つのペンネームを駆使し、それぞれに大流行作家となり、売り上げで御殿を築いたそうだ。昭和の初めにこんな面白い作家がいたとは、いままで全く知らなかった。

この世界怪奇実話、欧米で世間を騒がせた、世にも恐ろしい、あるいは奇妙な事件について、著者が欧州で買い集めた様々な記録を紐解いて、様々な視点から事件を描写したものである。収められている事件は、
「切り裂きジャック 女体を料理する男」
「ハノーヴァーの人肉売り事件 肉屋に化けた人鬼」
「マリー・セレスト号事件 海妖」
「タイタニック号沈没 運命のSOS」
「マタ・ハリ 戦雲を駆る女怪」
「テネシー州、猿裁判 白日の幽霊」
「ローモン街の自殺ホテル」
「双面獣」
「クリッペン事件 血の三角形」
「ウンベルト夫人の財産」
「女王蜘蛛」
「ドクター・ノースカット事件 土から手が」
「ブタペストの大量女殺し 生きている戦死者」
「浴槽の花嫁」
の 14編。

タイタニック号やマタ・ハリの名は、いまでこそ、日本でもあまりに有名であるが、当時、ほとんど知る人もいなかったらしい。他の事件は猶更である。

この本を読んで、驚くのは、まず、その語り口が、現在の週刊誌に載せても可笑しくないほど、現代的あること。次に、欧米の文化風俗の描写の自然さ。当時の日本の一般大衆は外国人や外国文化との接点は極めて限定されていた筈で、外国の文化とは、モノクロの無声映画を通して覗き見るようなものだったのではないだろうか。気軽に海外に出かける現代人とは違うのである。それを、牧逸馬は、気取りも無く、隣町での出来事のように自然に、生き生きと描写している。

本書で扱われた事件は、血なまぐさいものが多いのだが、それらと一線を画しているのが、「テネシー州、猿裁判 白日の幽霊」である。これは、テネシー州の反進化論法に違反した疑義で告訴された教師の裁判という形で行われた、反進化論法に関する争いの話である。

その軽妙な語り口を少し引用してみる:

『スコープス君に相談すると、対「反進化論法」の実験用として、法廷に立つことを辞さないという。つぎは、軍資金の問題。が、これは「アメリカ自由市民ユニオン」- American Civil Liberties Union - なる団体が、被告の裁判費用をひき受けることになったので、そこで、馴れあいである。だれかが告訴しなければ事件にならないから、ラブリー博士がスコープス君をおそれながらと訴えでた。
「あの者は、不届きしごくにも御禁制の進化論を教えておりますようでー」
そいつは大変と内偵してみると、なるほどスコープス君は涼しい顔で、さかんに教場で進化論入門みたいなことを弁じたてている。もってのほかとあって、逮捕尋問におよぶと、待ってましたとばかり、
「進化論を教えるのがなぜいけない。よし!裁判にかけてもらおう」
と呆れかえったずうずうしい返事だ。
予審裁判官によって起訴された。
テネシー州 The State of Tennessee 対ジョン・タマス・スコープス John Thomas Scopes の公判。
罪名は、「教えちゃいけないってのに進化論を教えた罪」』

これに続いて、陪審員に選ばれた農家のおじさんのすっ呆けた答弁や、反動政治家の大本山ウィリアム・ジェニングス・ブライアンと、ニューヨークの有名弁護士クレアランス・ダローの一騎打ちの論戦が、面白おかしく描写される。まことに、当時のアメリカの世相が生々しく感じられる文章である。

タイタニックにしろ、マタ・ハリにしろ、いまではよく知られた事件ではあるが、私自身は、何となく映画をみたり、話を聞いたことがある程度の知識しかない。なので、事件の詳細は、この本で初めて知ったことばかりである。牧逸馬の文章で読むと、単に事件の記録を知るだけでなく、同時代の事件として語られているため、当時の人がどのような驚きで事件を受けとめたのかまで伝わってくる。日本の当時の読者に与えた驚きも大きかっただろうと思う。

紹介された事件の怪奇さも衝撃だが、長谷川 海太郎という人物の存在を知ったことが、嬉しい衝撃であった。これから、この人の残した沢山の本を読むのが楽しみである。

パレルモ・マッシモ劇場「トスカ」2017年06月27日

あのアンジェラ・ゲオルギューが来る、しかもトスカというので、躊躇わずチケットを入手した。

ゲオルギューのトスカと言えば、ROHやウィーンが有名だけと、マッシモ劇場ってどうだろう。シチリアにあるオペラハウスで、ゴッドファーザー・パート3の舞台にもなった豪華な劇場で、観客には地元の富裕層が多いらしい。そう思ってみると、このオケ、なかなか雰囲気がある。冒頭から美しいメロディを聞かせてくれる。三幕の"星は光りぬ"の前の、チェロアンサンブルなんか、これだけでも聴きに来る価値があるほど、美しかった。

肝心のゲオルギュー、歌はもちろん文句なし。さらに演技も凄い。トスカは身についてしまったからだろうか、これでもかというほど考え抜かれた演技(少し過剰かも)。スカルピアを殺した後、水を飲もうとして、あの汚らわし男の飲みかけだと気づく様子、スカルピアが書いた通行証を探してテーブルの上を半狂乱で搔き回す演技、ゲオルギューならではだ。大きく胸の開いたドレスも。

カーテンコールにスタンディングオベーション、15分以上続いたようだ。途中で抜けたので終わりはわからない。

日時: 2017/6/25(日)
場所:フェスティバルホール
指揮:ジャンルカ・マルティネンギ
[独奏・独唱]
アンジェラ・ゲオルギュー(S)
マルチェッロ・ジョルダーニ(T)
セバスティアン・カターナ(Br)
[演奏]パレルモ・マッシモ劇場管弦楽団
[合唱]パレルモ・マッシモ劇場合唱団
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